ハリーのタカの目ブログ

起業日記になりそうな予感

4年間ニートだった幼なじみ@30歳が社会復帰した話-その⑥「何もかも失った僕」

こんにちは。福岡の経営者ハリーです。

まず、大阪の地震で被害に遭われ、今も不安の中過ごされている皆様に心からお見舞い申し上げます。

2005年に起きた福岡西方沖地震。たまたま東京から福岡に帰省していた僕は、見事に地震にぶち当たりました。たまたまその時間、その時に、そこにいた。もしかしたら側にあった壁が崩れていたかもしれない。その後の東日本大震災熊本地震、今回の大阪の地震。偶然が織りなす人生の無常さを思うと、胸が締め付けられる思いがします。

人生には自らが創る部分と、人知を超えた領域による影響があり、その2つに翻弄されながら生きていくことを、私たちは素直に受け入れるだけなのでしょうか。

今回、ジミーの物語を再開させるにあたり、僕たちの人生をめぐって渦巻いてきた色々な思いや感情をかみしめていました。そのような折の地震に、自分が今生きていることについて、思いを馳せざるを得ません。

 

 本題に入り、1年前にスタートさせたこの話の続きです。

harryike.hatenablog.com

 

お山から転げ落ちた僕

僕が社長になってから、何か生活が一変したかというと、特に大きな変化はなかったと思う。寝るときに枕元に置く会社携帯がいつ鳴り出すかもしれないとか、社長として周囲にどう接するか気を遣っていたとか、社外からは色々なお祝いをもらったり、業界内で注目されたり。

人を大きく変える可能性があるのは、金と権力と地位だと思う。そのことを常々見てきた僕は、自分がそうならないようにとにかく注意した。

だけど、僕の中で、やはり何かがおかしくなっていたのだと思う。そのうち、自分が自分でないように感じ始めた。

もちろん、何も無いのにそんなおかしなことにはならない。会社のトップに立つと色々な事が「見えすぎる」。会社の正体を知った思いにもなったし、オーナーがいることの意味も頭ではなく体で理解した。

僕はなぜたった4年で社長になれたのか?

簡単な話だ。僕はことごとく上司を押しのけてきたからだ。それくらい、様々な事にチャレンジして、会社経営に影響を与えた。自慢じゃないが、僕は人一倍会社経営のことを勉強したし、社内の人間関係構築に努めた。他にもいろいろな理由があるだろうが、後は「口が堅い」ことも良かったと思う。僕は社内の事を見聞きしても、余計なことは言わなかった。口が軽い人は、信頼されない。

僕は常々問題意識や目的意識を大切にして仕事に臨んできたので、それも良かったのかもしれない。後は、仕事の成果の質を上げるだけだ。

そんなこんなで、社長になると僕の上にいるのはオーナーだけになった。今まで上司とケンカしてきた僕は、遂にオーナーとケンカする羽目になったのだ。決して、勝てないケンカだったが。

「ちょっと待って、ケンカせんで良くない?」

そりゃごもっともだ。

だが僕は、若かった。その一言で済まされるかわからないが、僕とはほとんど無関係のところで起きた出来事により、「そうせざるを得ない」状況に僕は陥った。

その出来事は、会社を揺るがすような大事件だったが、それは僕が社長になる以前から進行していた話で、僕は領域外のこととして関われなかった。あのまま普通にサラリーマンをやっていたら、僕はそのまま今もあの会社にいたかもしれない。

しかし、人生そんなに甘くなかった。僕は大きな渦に、巻きこまれてしまった。そして、そこでの身の処し方を間違ったのは、僕の若さだと思う。

最終的に、ある問題をめぐってオーナーと対立してケンカを始めた僕は、やがて体を壊した。心も壊れていたと思う。これは自分じゃないなと変に冷静に思ったし。だんだん食事もできなくなり、車の運転もしない方がいいなと。食べて飲んでは戻すし、胃腸がやられてんなぁ、みたいな。

もう無理だな、社内外の人たちにはこれ以上迷惑はかけられない、早い方がいい、と思った僕は辞表を用意して経営会議に臨んだ。もう出来てしまった溝は埋まらない。オーナーからは言われもないことを散々言われ、暴言や嫌味を吐かれ、もう傷つく心もどこかへ行ってしまって冷静になっていた僕は、翌朝から会社に行くのを辞めて、人づてに辞表を出した。それで僕の会社人生は、終わった。

お山に登っていた僕は、文字通り砂上の楼閣であることに気づかず、あれよあれよという間に転げ落ちた。

他人に人生を預けると、こうなってしまう。

もう、サラリーマンなんてやりたくないな。

僕は、ろくにものも考えられない頭で、ふと思った。

 

辞めた後の話

会社に行かなくなるとどうなるだろうか?

かりにも社長が辞めるとなると、問題のレベルが半端ない。色々な人から電話もメールもあったが、僕は全て無視した。下手にかかわれば、その人にまた迷惑をかける。

会社と完全に縁を切るために所有していた株を売り、そのお金で残っていた数千万円の借金を返し、僕に関連する物を引きあげ、それで終わった。

未練は特になかった。

ただし、そこから約5年間、僕の人生における闇が始まった。思えば、長かった。

 

ジミーとの再会

会社を辞めた僕は、家に引きこもった。

何の身分も、地位も、会社の看板や名刺も、固定的な給料も無い、正真正銘ニートになった。

親を心配させたが、それもやむを得ない。僕は独身だったので、特に困ることもない。しばらく、拾ってきた猫と戯れて遊んだり、ネットサーフィンして過ごした。

そして3日が過ぎて、僕は少しずつ思考力を回復させてきた。

「これから、どうしよう」

先を決めずに会社を辞めて何もなくなった人が、誰もが思うことだろう。

最初に思ったことは、僕は「自分にはニートは向かない」だった(笑)

ニート生活に3日で飽きた僕は、近所の図書館に勉強と読書に出かけた。とりあえず体調を整えることが優先で、その間に資格勉強でもしよう、と。

そのうち、僕は浪人時代にジミーや友達と一緒に図書館で勉強したことを思い出し、ジミーに連絡を取ることにした。

近くのラーメン屋で久しぶりに再会して、僕は会社を辞めたことをジミーに伝えた。

ジミーと話をしているうちに、僕は、自分がジミーと何も変わらないな、と思った。

僕は何を偉そうにしてたんだろう、と。色々なことを申し訳なく思った。口を出すなら、自分が何かしろよ、と。

結局、何もしていなかった自分をあざ笑った。

僕はなんだか気持ちが楽になり、ジミーともまた前のような関係を続けるようになった。

 

どん底の中で、つかんだ光

僕はその後、しばらく勉強を続けて、一段落ついた時点で、以前会社の関係で仲良くなった人に連絡を取ることにした。

その人はたまたま同い年で、仕事の話をするために時々飲みに行ったり、プライベートの付き合いもあった。

僕は、会社を辞めてから思い知ったことがある。

それは、サラリーマンやサラリーマン社長をしていたときに、いかに会社の看板や名刺がモノを言っていたか、ということだった。

それでも個人的に僕の事を気にかけてくださる人がいて、それが何よりの救いだったし、今も感謝している。

久しぶりに会った彼に、僕は現状を打ち明けて、何とかしたいと伝えた。

彼は、快く応じてくれて

「ハリーさんに紹介するならこの人しかいない」

と、ある方の携帯番号を教えてくれた。

その紹介された方との出会いから、僕のこれまでの光と闇の5年間がスタートする。

そして、その間にジミーにも大きな転機が何度も訪れる。

 

次回、この物語はクライマックスに入る。