ハリーのタカの目ブログ

起業日記になりそうな予感

4年間ニートだった幼なじみ@30歳が社会復帰した話-その①「ある田舎のものがたり」

梅雨入りしたと聞いて、空を眺めていたら水たまりに見事にはまりました、福岡の経営者ハリーです。

突然ですが、みなさんには「幼なじみ」っていますか?

僕はものごころつく前から、今も付き合いのある友達がいます。

もう、かれこれ30年以上の付き合いになりますね。

その友達がもし女の子だったら、「幼なじみ」という言葉がとてもロマンチックに響くんでしょうけど

残念ながら野郎です( ;∀;)

まぁそれは彼の立場からしても、同じことでしょうけど。

 

背景

最近、自分よりも若い人のキャリア支援をすることが多く、必ず引き合いに出すのがその幼なじみなんです。

「4年間ニートやった友達が社会復帰しましたから、働こうって思う意志さえあれば大丈夫ですよ」が決まり文句。

それで、ふと、彼のことをブログで書こうかなと思いはじめました。今回は、僕と彼のことを簡単に説明しておきます。

 

昔語りのつもりなので突然文体変える

僕も彼も福岡のある田舎町出身、同い年。

彼というのも微妙なので、ここでは仮名ジミーにしておく(もちろん生粋の日本人 笑)。

2歳かそれくらいのときに、母が僕を連れて近所を散歩していたとき、偶然同じくらいの年頃の男の子を連れたお母さんと出会い、母が「あら~、いまいくつ??」と言って話しかけて母同士で仲良くなったのが始まりだとか。僕の母は昔から社交的だったようだ。

幼稚園は違ったけど、ジミーとは小さい頃からよく一緒に遊んだ。

その頃の思い出は、ガンダムのプラモデルやガシャポンで出て来るガン消しでよく遊んでいたこと。今考えると、あれで何をして、どうやって遊んでいたのだろう。

町立の小学校、中学校と同じ所に行って、時々同じクラスになった。1学年120名くらいしかいない小さな学校なので、高い確率で同じクラスになる。しかも、中学校も小学校のすぐ近くにあって、他の小学校とも交わらずにそのまま上がる。だから、僕らの町で育った子供たちは、小学校から9年間はとても狭い環境と関係の中で過ごすことになる。だから、自然と人間関係も濃いままで育っていく。もっとも、それがやや特殊なことだったというのは大人になって知ったことだが。

 

僕らの町にはほどよく自然があり、都会もそんなに遠くない。ガラの悪いヤンキーや不良もいない。問題になるようないじめもほとんど起きない。受験だ何だと騒ぐ親もいない。成績はそんなに良いわけではないが、学級崩壊などとは無縁の世界だった。小中と、時々転校生がやってきた。後で知ったことだが、多くの場合はいじめられていた経験があった。学級崩壊などで問題があった先生も、よく僕たちの学校に来ていたようだ。「楽園」と、ある先生は呼んでいた。

僕とジミーはそのような町で、ガンダムやゲーム、アニメを話題にして中学卒業まで一緒にいた。

 

高校は別々のところに通い、3年後、めでたく二人とも大学受験浪人を経験することになった。僕が通うことにした予備校にジミーを呼んで、小中学校で仲が良かった友達も誘って、またつるむことにした。よく考えると、そんなことをしたのは僕だけだった。予備校からは「営業部長」と呼ばれた。

すっかり30代半ばのオッサンになった今、周りの人に小学校の友達といまだに会って話をするというと、多くの人に驚かれる。どうやら、小学校の人間関係は中学校でほとんどリセットされ、高校で完全に切れることが多いようだ。不可逆的な人間関係が、割合多くを占めるのだろうか。他の田舎も僕の町と似たようなものではないかと思うが、よくわからない。

何にせよ、僕は約1年間勉強して、東京の大学へ無事合格した。数学が苦手だったので、克服するために毎日必ず数学を勉強した。同じ問題集を3周くらいしたら、意外と力が伸びていたのだ。

ジミーは、もともとあまり勉強するタイプではなかったからか、もう一年浪人して福岡の大学へ通うことになった。お母さんの里が東京なので「東京に行きたい」と言っていたが、かなわなかった。

 

僕は東京で大切な青春時代の4年間を過ごし、思うところあって東京から抜け出して就職した。

ジミーは、僕より遅れて1年後に卒業して、IT企業に就職してSEになった。地方の企業だったが、東京に支店を置いていたので念願の東京で働けることになったのだ。僕も彼も、とてもそのことを喜んだ。

この物語は、ここから始まる。(続く)