ハリーのタカの目ブログ

起業日記になりそうな予感

4年間ニートだった幼なじみ@30歳が社会復帰した話-その④「ブチキレた僕」

こんにちは、ハリー@福岡の経営者です。
とても心温まることに、豪雨により被害を受けたのではないかと色々な方からご心配をいただきました。幸い、私の住んでいるところは特に大きな問題もありませんでした。福岡や大分の中でも特に被害の激しかった地域にお住いの方や被害に遭われた方々に心からお見舞い申し上げます。

このシリーズの続き、第4話目です。すべてノンフィクションです。  

harryike.hatenablog.com

 

先の見えない再就職活動

ジミーは、あこがれの東京での仕事を辞めて福岡に戻った。小学校からの仲間として今もつるんでいる友達たちは、「福岡に帰ってきてよかったやん」と言ってジミーを歓迎した。僕もジミーとよく会えることになったのは、嬉しかった。

しかし、大切なのは次の一歩をどう踏み出すかということだった。友達とはいっても、何か具体的に世話をできるような力を持った人間はジミーの周りにはいない。僕も無力だった。自分の道を決めるカギを握るのは、当然、その本人であるはずなのだ。だけど、そのカギ穴は一体どこにあるのだろう。だから、それを探すのも本人次第で、自己責任といえばそれでおしまいかもしれない。

「これからどうすると?」という僕の問いに対して、

「福岡のIT企業でも受けてみようかな…」定まっていない表情でジミーは答えた。

僕はサラリーマンで平日は忙しかったし、夜は疲れて特に何もすることなく眠っていた。そんな毎日だった。ジミーのことは、もちろん時折思い出して連絡を取ってみる。お互いの家は歩いて5~6分のところだから、顔を見に行った。

「就活どう?」

「うーん、企業を探しよるんやけど、なかなかね」

以前ジミーと話をしたときから、数ヵ月が経っていた。僕はジミーのマイペースぶりをよく知っていたし、それで何とかなるならいいかと思っていた。

今ならわかるが、人が生活リズムを整えて規則的に何かをしない限り、数ヵ月を経過するというのは普通ではなかったのだ。玄関先で少し言葉を交わしたりする程度で、近くで顔を見て色々な反応を見ながら話すわけではない。僕はその先の展開を甘く見ていただけだった。

そうこうするうちに、ジミーの口から「警察の試験を受けようと思う」という話が出た。企業への再就職がどういう経緯をたどったかはよくわからなかった。もしかしたら受けてみたかもしれないが、書類で落ちたのか、面接でダメだったのかもしれないし、そもそも受けなかったのかもしれない。

 

チャンスに二度目はない

当時、26歳の僕はキャリアのキの字も理解していなかったと思う。それに、「自分の力で自分の人生は何とかしなければならない」と思い込んでいた。ジミーが決めたことならば、後はそれを応援すればよかったのだ。

僕は、僕なりに支援になればと思って、その頃始めたジョギングにジミーを誘った。自分でも笑えるが、「いい男にならなくちゃ」と思ったことがジョギングを始めたきっかけだった。別に目指せイケメンとかリア充万歳とかそういう話ではなくて、身体を鍛えておくことは先を考えた時に悪くないと思っただけだ。そして、いい男は身体を鍛えるものだと思っていた。

暑い中、走るのはとてもきつい。最後の方は顔をくしゃくしゃにさせて、もうこんな思いはしたくないと思いながら必死に身体を慣らす。しかし、走ることで僕は日ごろ自分の中に溜まっている何もかもを、流し出すことができると感じていた。とにかく、僕は土日にひまさえ見つければ走った。

警察試験には体力テストがあると聞いていたので、僕はジミーを誘った。家に閉じこもっているのも不健康だし、走り慣れて体力をつけなければテストもパスしない、一石二鳥だと思った。

だが、僕はここでもミスをした。高校卒業以来ほとんど運動習慣がない人間を相手に、いきなりジョギングというのはハードルが高すぎたのだ。ジミーは健気に、僕の誘いに乗って一緒に走った。それはよかった。しかし、少しして「ひざが痛い」と言い始めた。それはそうだ。

僕たちはジョギングをやめて、10年以上前に歩いていた通学路を再び二人で並んで歩いた。子どものころは、大人になってそんな風景が訪れるなんてまったく思いもしなかった。

僕は一週間後に、またジミーを誘った。次は反省を生かして、少しゆっくり走ったり、ウォーキング程度でやろうと思っていた。でも、玄関先でジミーは「自分のペースでやるけんいいよ…」と言って今度は走らなかった。隣にジミーのお母さんもいたのだが、残念そうな顔をしたお母さんの表情は今も忘れられない。僕は、それからジミーを誘うのを止めた。

ジミーはその後、やはり体力テストで落ちて警察官にはなれなかった。そして、何も起きないまま数年が経過した。その間、僕とジミー、そして共通の友達たちは中学時代の恩師と時折一緒に飲む機会があり、そこで顔を合わせる程度だった。でも、もう誰もジミーの今の状況について触れなくなった。

 

ブチキレた僕

ある日、同じように中学時代の恩師と仲間内で飲むことになった。その日はなぜだったかよく覚えていないが、かなり酒が進んだ。僕は酔うとよく話すようになる。話しにくいことを話したりもする。その日、特にジミーの将来のことを話すつもりではなかったが、何かの拍子に話題がそこに移った。僕は、結局そのことをずっと気にしていたのだろう、ここぞとばかりに話をかぶせた。

バイトをするわけでもない、就活をするわけでもない、今後の展望があるわけでもない。ないない尽くしでこの先どうするんだ、お父さんとお母さんに申し訳ないと思わないのか、とほとんど説教だった。それまでのジミーの煮え切らない反応に僕は我慢できなかったのだ。細かいことはもう覚えてないが、僕はすごい剣幕でとにかく怒ったのだと思う。

後で一緒にいた友達に「ジミーが怒られようのに、先生も俺らも、しゅんとしとったけんね(笑)」と言っていた。

だけど、それも僕の若さだったと思う。怒ったからといって、何が解決する?何が変わる?一番何とかしたいと思っていたのはジミーだったし、もう何をどうしたらよいのかわからずに苦しんでいたのも、他ならぬジミーだったのだ。

誰もがこのままではいけないと思っていながら、誰もどうすることもできなかった。

そしてまた、時が少し過ぎた。僕は、勤めていた会社で抜擢されて、会社役員に上り詰めていた。

(続く)