こんにちは、ハリー@福岡の経営者です。
気付いたら間がだいぶ空いていました。久しぶりにこのシリーズの続きを書きます。
登り詰めた僕
サラリーマンの真の願いはなんだろう。
出世すること?
給料が上がり続けること?
会社がつぶれずに自分が定年まで勤められること?
できれば楽して働くこと?
仕事のやりがいが得られること?
しがらみから離れて起業か独立して自由にやってみること?
そんなものは人によるだろうと思う。価値観は十人十色だから。僕がサラリーマンとして願ったことは組織を動かすことだった。自分なりに組織に影響を与えてよりよい将来目指す。その経験があればよい。給料などは後からついて来ればいい。そんなことを思って、僕は力を発揮すべき時は発揮し、特にやることがなければビジネスの勉強し続けた。
その後、色々なポストを経て僕はその会社の社長になった。入社してから5年目のことだった。血縁もない中小企業で社長になることは、あまり聞かない話ではあるが、必ずある。会社が、過渡期を迎えていたところで、僕が様々な経緯を経て抜擢されたのだ。
僕は単なる雇われサラリーマン社長になるつもりはなかったので、経営に責任を取るつもりで数千万円の借金をして会社の株を買うことにした(給料は跳ね上がったが、手元に残るお金は以前とほとんど変わらなかった)。
登ったところから見たもの
社長というポジションから見える組織の内外の景色は、これまでとは違った。いや、違うと僕が錯覚したのだろうと思う。これまで普通に接してきた社員の人たちも、一歩退いたところで接したり、僕自身が微妙な距離感を感じていたと思う。
だからと言って、急に僕が居丈高になったり、威張り散らして怒鳴ったりすることはなかったと思う。もしかしたら、周りの人は何かしらの変化を感じていたかもしれないが。
いずれにせよ、その頃の僕は自分のことでとにかく一生懸命で、周りのことを忘れていた。ジミーのことも、もうあまり考えることはなかった。
ふと思い出したとしても、彼にかける言葉など思いもつかなかったと思う。僕はその高いところから、彼を見下ろしていただけだからだ。
若かった僕は、自分の力にウェイトを置きすぎていたのだと思う。もちろん、自分ができないことを周りの人に頼んだりお願いして、仕事を進める感覚はあった。自分ひとりでは何もできないのだから。
だが、キャリアについては自分の責任でつかみ取って行かなければならないのであって、何も動けないのはダメなんだよと思っていた。この時点で、僕は色々と勘違いしていたのだと後で気づくことになる。
家の中に閉じこもり続ける、ジミー。
お山の大将になったと錯覚した、僕。
そこに見た目の大きな違いこそあれ、本質的な部分では何も変わらなかった。
僕とジミーは、心の奥で「孤独」を感じていたのだ。
(続く)