福岡で起業、8年目に入りました
2022年11月、今年も1ヵ月と少しを残すことになりました。
昨年の記事です。
コロナはあいまいな感じで収まりを見せているような、やっぱり第8波がとか言っている状況で。
でも、天神周辺を歩いていると韓国の方をたくさん見かけるようになったり、2年前はがらんとしていた博多駅や天神地下街は人出でにぎわっていたり。
昔と違うのはみんなマスクをしていることかな。あと、他人に話しかけづらくなったこととか。
業績は過去最高に
先日、業界大手を早期退職で辞めて、50代起業数ヵ月の方とお会いした。
「色々計算すると当初の想定より収益が少なくて、このまま行くとまずいんじゃないか」
まさに起業のリアル。
ただ、僕はこの7年間、意味合いは違うけれども「このままではまずい」とずっと思い続けているし、今も思っている。
それが経営なんじゃないかと。
「会社にした意味あったのか。個人事業主でも良かったんじゃないか」
僕も会社を作ってから4年くらいはほぼ個人事業主レベルでしか仕事ができていなかったけど、ある程度の会社と契約するうえでは法人であることが優位に働くし、法人として情報発信することに意味があったりする。
あと、会社という子供のような箱のような存在を目前にして、経営者本人の心持ちも変わるように思う。
うまく行かない時はうまく行かない時なりに人間は価値判断や学習を行うし、逆にうまくいっている時は誤った成功法則を学習してしまうのだろう。それがやがて大きな失敗の種となる。
この7年間、今思えば苦しい時もあったけど、その時その時の「このままではまずい」を「ではどのような状態であればいいのか」と前向きに思考を切り替えて、その時に考えうるより良い選択肢を取っていった結果、100点ではないにせよほとんどの課題が解決を見ている。
具体的に挙げると次のようなものになるが、会社が少しずつ発達していく段階を踏んでいるのかもしれない。
・1社への収益依存体質から脱却する
・代替性の高い(替えが利く)仕事から、より代替性の低い仕事へ
(ただしこれは今、事情によってあえて逆流しつつある)
・個人体制から組織(チーム)体制へ
・チームの価値を対価に反映させる
・より強固な経済基盤(ストックの収益)をつくる ※ 道半ば
これらを実現していった結果、第7期目は過去最高売上&利益を達成した。
「起業してから酒量が増えた」と先ほどの起業した方は言っていた。
大丈夫、僕も前から減ってない。
仕事自体は楽しくやっているが、ふと気を抜いた時、無意識に感じていたストレスが顔を出して酒に逃げているのかもしれない。
酒をやめられたら僕は仙人の境地に行けるんじゃないかと思っている。
チーム体制
そんなわけで、業績は良くても心安らぐ日が訪れるわけでもなく、常に会社が進化していくことを楽しんで苦しんでいる自分がいる。
最近読んだ本に「キリンは600万年かけて首を4m伸ばし、あの形になった」と書いてて、一年平均で1万分の6㍉(多分)と思うと、そんな感じで会社も進化していけばいいかなと。
解決していった会社の課題のひとつ「個人体制から組織体制へ」について。
なぜ個人事業主ではダメかというと、そもそも自分がいい組織を作るために起業しているので、いつまでも一人でやっていたら自らの使命を放棄することになるから。
それで、この2年くらいは意識的にチーム構築と、チームで受けられる仕事をつくりだすことと、チームでやったことをお客様から頂く対価に反映すること、この3つを取り組んできた。
雑に3つ書いたが実はその過程は長くて、最初はとりあえずチームを作って、何につながるかわからない自主開発的な仕事をしてお金だけ払って(※)、しばらく時が過ぎた。
※ 何になるかわからない、趣味のような仕事だったので僕は「パーソナル・ベーシックインカム」という呼んでいる。壮大な実験だったが結果的に一時の成功を見ている。ちなみにそのメンバーはこちら。伏線だったんだなぁと。
その間、以前からの知り合いに在宅メンバーとして加入してもらって、お客様との仕事や僕が持ってる仕事を振るようにした。そのことは昨年も書いた。
それで次の課題は、チームでやってることをいかにお客様に理解してもらい、その価値をお金に換算し、対価として請求するか。ここが大きな壁だった。
やってみるとそんなに難しくはなかった。けど、今でも思う。お客様は会社にお金を払ってるけども、「僕という存在価値」にお金を払っている節もある。これを補完する形でメンバーの価値をどう伝えるか、大きなポイントだった。
結果的にうまくお金に出来て、お客様にも喜んでいただけたので、うちのメンバーが動くことでより高い価値を提供できるのだと今では自信をもって言える。
実際、以前の自分一人体制では絶対にできなかったようなことが、今はチームで実現できていると、この一年で痛感した。
書き出せばキリがないが、具体的に書き残しておくと
・メンバーの一人が仕事をしているうちに必要に感じてGAS(Google App Script)を勝手に学んでくれて、自走するようになった(もはや僕のレベルをはるかに凌駕)
・僕が解決できなかった問題をメンバーのアイデアで解決できた
・僕がやるよりもはるかに上手に、お客様と関係を構築して付き合っている
・僕が動けない間に、メンバーが動いてくれてお客様も助かっている
・僕が収集した情報をもとに計画を進めようとしたが、何気ないミーティングの拍子に、メンバーが持っていた情報が実はすごく価値を持っていることがわかり、それが結果的にお客様のためになった
・やはり社長は最後の砦感あるので、僕が最初から出ていかないことにお客様への対応上は効果もある
などなど、組織の力ってやっぱりすごいと実感した。
リーダー、あるいは、マネジャーの仕事とは、自分ができる仕事を他の人にしてもらうだけではなくて、自分ができないことをいかに他の人にしてもらうかも含まれている。むしろこちらの方が重要な業務であると思う。
「積み重ね」でしかない
しかし、何もかもをチームでやることが良いとは限らない。
僕にしかわからないこと(かなりの努力を要する)を、変にチームでやろうとするととてもじゃないがうまく行かない。
なので、その領域は僕ひとりでやって、その分他の人にはマネできない付加価値の高いものとして一定の対価を得られる(ここがある分、チームに投資ができる)。
また、次の課題となる「労働集約的業務からストック型経済基盤の構築へ」は目下取り組み中だが、要は僕やチームがリアルタイムで動くとお金を得られるが、何もしてないとお金が入ってこない状況は将来的に不安しかないからこれをやらざるを得ない。
楽して稼ぎたいのではなく、新しいことに挑戦するには安心して取り組める後ろ盾が要るからだ。
以前は同じビジネスモデルで顧客を分散させることを意識してきたが、今は収益の獲得方法(ビジネスモデルそのもの)を分散させていることになる。
様々な会社を見てきて、基本的に新しいことへのチャレンジはほとんどの人が消極的であると言ってよい。なんやかや理由をつけてやらないか、遅らせる。最終的にはやればよいのだけど。
僕のモットーのひとつに「ゼロはいつまで経ってもゼロ」ってのがあって、0.00001と0の差は天と地の差があると思っている。一つでもいいから、間違っていてもいいから、とにかく何かのレンガを積んでみる。しかも、何かを作ろうと意図的にでなくてもいいから、とにかく積む。
結局、僕が今実現できていることも、過去になぜか積んでいたものが、あるいは、種をまいていたものが、何かしらの形で実を結んでいるに過ぎない。実は、その背景にはいまだ陽の目を見ていない無数の積み重ねがあって、ほんの小さな出来事だけが運良くつながっただけで、僕の能力とかは関係がない。ただ感謝して生きるだけだ。
人間関係にしても、基本的にメンバーは何年(何十年)も付き合いのある人だけで、ちょっと会った人とどうこうなるというのは僕には難しい。だからこそ会社は大きくならないのだけど。
IT関係の知識も、僕が幼少期にわずか短い期間だけあったパソコンを触っていたとか、大学生の時にインターネットで色々遊んでいたとか、そういう経験が今に活きている。当時は仕事につながるとかまったく思っていなかった。
したがって、やはり人生にムダは無いというありきたりな結論になる。だから僕は新しいことに挑戦し続ける。
ローマは1日にして成らず/すべての道はローマに通ず
ここ2~3年くらい、ビジネス書を読まなくなった。本屋に行ってもビジネスコーナーを素通りすることが多い。
理由はいろいろあるけど、単純にビジネス書はつまらないと感じるからだと思う。それで、今は塩野七生『ローマ人の物語』文庫版全41巻のうち29巻までを読み進め、他には進化生物学とか脳科学とかを読んでいる。
『ローマ人の物語』文庫版27巻と28巻は、他の巻と異なってローマ帝国のインフラについて、ハードとソフトの両面にわたり見事なほどにまとめられている。
印象的なのはラテン語に「インフラストラクチャー(infrastracture)」に当たる語は無く、では、何百年もかけて通した12万kmの道や芸術的なまでの水道橋、河にかける橋、街中の上下水道、数々の公共建築物はローマ人に何と呼ばれていたのか。
意訳すると「人間が、人間らしく生きるためのもの」という言葉で、まさにそれこそが「文明」だった。見出しのことわざはよく聞くけども、これを読むまで本当の意味を理解はしていなかった。
それで、私たちが長い時間をかけている会社や組織のインフラ(人が人らしく働けるもの)とは何だろうかと思うようになった。ローマ人が毎日少しずつ道を通していたように(数々の戦争で中断はあったが)、僕も何かを通していく必要がある。
今、ここで答えがあるわけではないけども、インフラの観点から組織を眺めることでまた違った風景が見えるだろうと思う。こういうのはビジネス書から得られる洞察ではない(別にビジネス書が悪いわけではない)。
ちなみに、最近たまたま土木関係の方とお会いすることがあって、唐突に僕が古代ローマ人について語りだして、インフラの意味をお伝えしたところいたく感激されて気に入られたようだった。
光あるところに必ず影はあるのだ
この一年、いいことばかりがあったわけではない。
・父親が亡くなった(享年77歳)
・子ども経由でコロナになった(後遺症とかはない)
・買ったばかりの車(中古)を思いっきり削って修理代が多額にかかった
・その時の代車が、繁華街5車線のど真ん中でバッテリー故障を起こし車が止まって大往生した
・修理から戻った車にしばらく乗らなかったらバッテリーがなくなっていて乗れなかった
・50万先払いしていた仕事相手に特に成果物なく逃げられた
・頼もしいメンバーのひとりがもうすぐ抜ける予定
目立ったところはこんなところかな。
もちろん人との出会いや、昨年から動き出したことが色々と花開くこともあったり、旧交を暖める機会が得られたり、移動が多くなったりとかいいこともたくさんあった。
「悲しみの果てに何があるなんて俺は知らない」(エレカシ)
そしてこれからも
今の課題は明確で、ある程度これまで積み重ねてきたものも捨ててしまって、新しいことを積み重ねないといけない。具体的に言えば、売上の大きな所に目を向けるのではなく、小さくても良いから着実に会社の経済インフラにつながるものを大切にすることだと思っている。
その先に見える風景から何を考えるかは、その時考えれば良いのであって、とにかくこれからも
勉強する
人と会う
これは継続する。
来年の今頃は、また少し首が長くなった風景を見ていたい。