福岡で起業、9年目に入りました
つまるところ「国語力」
2015年に起業したころ、何もかもが見えていなかった。
会社の未来像も、経済的基盤も、協力してくれる心強い仲間も、自分を必要としてくれるお客さんの姿も。
ただ自由自在であることを誇りに、こんな自分でも面倒を見てくれるお世話になっていた方々に寄りかかりつつ、アルバイトのような契約仕事をこなしていた。
心の底ではいつもおびえていたように思う。
8年が経った今、眼前に広がる風景はとても想像できるものではなかったけれど、確かにいつかの僕が夢に望んだもののひとつだったかもしれない。
しかし、まだやれることはあるのだ。というか、成すべきことは多い。
そのひとつが、中小企業ではたらく人たちの「国語力」を磨くこと。これに尽きる。
細かいことは置いといて、AI時代の今こそ、これが貫くテーマのひとつになると思っている。痛切に感じる機会が多い。企業組織で起きている諸問題は、ほぼここに帰趨するのではないとも思う。
コミュ力が大事って言うけれど、その背骨は国語力だなと。今まで意識してなかったのは当たり前だと思っていたからだろうか。
とりあえず今ここって感じで次の話題。
仲間が減って、たくさん増えた
2022年は、自分を入れて常勤メンバー3名、スポットメンバー2名のゆるやかなチーム体制だった。プロジェクトも2〜3。
今年の春に、超強力な常勤メンバーが資格取得のため一時離脱し、片翼をもがれた思い続いている。
一方、この1年でプロジェクトが多岐にわたりはじめ、ご紹介を機に常勤メンバーがひとり増え、準常勤メンバー(非常勤よりも関わりが継続的)が2人も参画。とてもありがたいし、心強い。
メンバーに払えるお金も継続的かつ増加傾向にあるし、お客さんからの信頼も厚い印象がある。会社が、器らしくなってきた。
見直す時期
とはいえ、現状維持に専念できるほどの基盤はまだない。提供価値に対して適切な価格設定ができていないところが問題で、対価の考え方を整理して構成し直すことが求められている。
僕が営業せずとも、僕を信頼してくださる方が仕事を持ってきてくださってそれが収益基盤になっているのは本当に感謝しかない。
ただし、僕以外の常勤メンバーが仕事を作って収益化できる体制は構築できていないので、ここの模索がひとつの大きな課題でもある。
大学生インターンを受け入れて8年が経つ。長期インターンを受け入れる企業(内実はただのアルバイトな気がするけど)が福岡でも増えたのと、学生の質も変わってきた。こちらの求める部分も変わりつつあって、ひょんなことからとても有意な東京の学生が参画してくれたこともあって、インターンのあり方も見直す時期に来ている。
一般化×体系化する
この1年、複数の中小企業で組織づくりやマネジメントの話をしてきて、「マネジメントってこういうの必要だよね」と体系的にまとめることの重要性に気付き始めている。
中小企業では管理職とは何かとか、マネジメントって何するんだとか、そういうのがない。
もしあっても、その会社の個別具体的な事情に応じたマネジメントはあるけども、世間一般の、かつ、中小企業に適したマネジメントと呼ばれる社会通念上のものがない。
オーナー特性×事業特性×規模×中小企業あるある×世間一般を踏まえたマネジメントは、個別具体的な文脈を前提に我流で構築するしかない。これをどう一般化するか、腕が鳴る。
もっと言えば、経営サイドから組織をどう作っていき、そこに求められるマネジメントや仕組みはどう変わっていくのか、少し高い位置の話もない。経験談として語られることはあっても、一般的にまとめられたものはない。
そもそも時代が変わる中でそんなこと可能かもわからないが、チャレンジする価値はある。
挑戦のリスタートとスタートアップ
2年前に作った起業経営体験ゲーム(ボードゲーム)がある。
その場だけで終わるかと思ったが、とある大学の起業教育を研究する先生から、奇跡的にお問い合わせを頂いてその大学で実施する運びとなった。
講義終了後、男子学生が僕に
「このゲームに投資したい」
と話しかけてくれて、お、東京ってこんなクレイジーな学生がいるんだと見直してしまった。
よくよく話を聴くととてもゲームが面白かったので何かしらジョインしたいとのこと。
こんな反応を期待していたわけではなかったので、非常に嬉しくてインターン生として受け入れて活動してもらうことになった。
友達のスーパーエンジニアに忙しい中でゲームの一部の要素をウェブアプリ化してもらったり、デザイナーに頼んでボードやカードをリデザインしてもらったり、強力な協力者のおかげで最大限アップデートを繰り返しつつステージを進めるこの感じ、スタートアップに他ならない。資金調達とか派手なことをせずに行けるところまで行ってやる、今はそんな気概である。
「国語力をどうするか問題」
国語力の内容を整理すると、現段階でこのようになる。
- 文脈をつかむ力
- 言葉を聴き取って正しく理解する力
- 文字を読んで正しく理解する力
- 要約して、解釈する力
- 論理構成を整え、筋道を立てる力
- 意見または疑問を正しく持てる力
- 正しい問いを立てる力
- 適切な質問を投げかける力
- 日本語の文法に則して意見を正しく話す/書く力
- 語彙力
- 表現力/説明力(プレゼン力)
- 比喩、または、言いかえる力
1〜3はインプット
4〜7は内的な咀嚼、消化
8〜9はアウトプット
10〜12はすべてを支える力
以上がコミュニケーションの背景にあるものと思っている。
さて、こう考えると「コミュ力大事問題」は、「国語力をどうするか問題」へと昇華できるのではないか。
適切な国語力を身に着けるには「本を読め」といつかどこかの学校の先生(大体は国語の先生とか図書館の司書)から言われることだが、若さの常としてほとんどスルーされてきた行動課題だろう。
では、人はいつ国語力をみがくのだろうか。
①そのまま過ごす
②大学で本を読んで多少上がって社会人になって読まなくなってそのまま
③ずっと本を読んで多種多様な経験と掛け合わせて国語力が上がり続ける
ほぼ多くの人が①②。
なので③の妥協案として、国語力をぐっと上げる機会がたまにある、そんなとこだろう。
で、そのぐっと上げるのをどうするか。これを今からやっていく。
来年くらいに何かしら成果が上がっているはずだ。
たくさん話す場を頂いた
この1年、本当に色々な場で人前で話す機会を頂いた。
もうこんな大舞台ないだろうと思える場もあり、もはや人生のピークだった感も否めない。
今に至るまで話す機会はあるものの、毎回、聴き手が満足行くレベルのものが提供できたかわからない。ただ、講師業とか講演業の人と比べればたいした数ではない。
爆笑問題がテレビで「お笑いの舞台でスベる確率は75%」、「二度と忘れられないと思えるような舞台は35年で一回程度」と言ってて、プロ中のプロからすれぱ自分の経験値は天と地の差がある。
それでも人前での話の良し悪しを科学してみると
・話芸
・話し手のキャラ要素
・話し手のモード(何を狙っているか)
・聴き手の文化コード(参加背景・ニーズ、態度、知識、生育環境や笑いに関する文化)
以上のマッチングによると思う。
とはいえ、わかったとしてもいい話ができるとは限らないので、もうこの場で話すのは最初で最後なのだと思って毎回がんばるしかない。
最終的には精神論。
引き続き
- 勉強する
- 人に会う
以上を続けていく。
この1年は行ったことのないところに行って、経験したことない経験を積むことになりそう。