福岡で起業、7年目に入りました
2021年10月現在、コロナはまだ落ち着きません。
前回書いた記事から一年。
社会的な状況で大きく変わったところといえば
・ワクチンができて接種した人が増えたこと(10月11日時点で二回接種が63.5%)
・「抗体カクテル療法」など実効性の高い治療法が見つかったこと
・重症化を抑える特効薬「モルヌピラビル」に注目が集まっていること
・緊急事態宣言は2020年の1回に対して、2021年は既に3回(延長あり)
・緊急事態宣言中でも人出が多くなってきたこと
何となく光の筋が射しているのが見えてきたものの、抜本的な状況の打破には至っていないのが実情です。
福岡でも9月に一日あたり1000人を超えるPCR陽性者が出るようになり、親しくしている社長含め数人が感染しました。
30代にもかかわらず、肺機能が非常に低下して、数週間経った今でも疲れやすいなどの症状があったり、一時期は味覚がなかったりと、日常生活に支障をきたすレベルで大変な思いをしたとのことでした。
忙しくてワクチンも打てていなかったのも災いで、とにかく、よくわからない言説に左右されてコロナをなめてかかったりしない方が良いようです。
業績は横ばいだが可能性は右上がりに
今でもスケジュールだけはアナログ手帳にしています。
10月のページを開くと、空いている日は週に1日程度で、他の日はだいたい何かの予定が書きこまれています。
3年前くらいは週に2~3個の予定が書きこまれていれば十分な感じだったのですが、今は1日に2~3個書き込まれている日も多く、大きく様変わりしました。
手帳もここ数年で少し大きめのサイズに変えたので、自分の仕事の状況が変わったのだなとしみじみと思います。
昨年、それまでの2倍以上の売上になり、コロナが続く中これからどうなるだろうとは思っていましたが、今年はほぼ同じで前年比4%増となりました。
これは非常にありがたいことで、しかも、売上構成は一社に依存することなく、30%未満が複数ある状態です。
起業後3年くらいで「脱・メイン取引先依存」を掲げて取り組んでいましたが、その状態がようやく実現できたと言えます。
取引先が複数に増えたことで経済基盤は安定し、収益も将来的に見込めている部分があるので計画を立てやすくなりました。
また、昨年からの取り組みが実を結び、少ないながらもまったく新規の取引先からの売上も得ることができました。
コロナになってから、それまで対面用で使う資料の作成を主にしていましたが、オンラインで使えるコンテンツの作成や開発に取り組み続けています。
新しいビジネスゲームの開発や、既存コンテンツのバージョンアップにも取り組んでおり、引き合いも少しずつ増えていることから、将来的な可能性は拡がっているように感じます。
新しいオリジナルゲームを作った
ものごころつく前からファミコンで遊んでいて、社会人になってからしばらく鳴りを潜めていたもののコロナをきっかけにSwitchとPS4を買い、遊んでみていました。スマホゲームもやっています。
昔「こち亀」を読んでいて登場した「ハイパー小学生社長」の「電極+(ぷらす)」が「ゲームはやらない。つくって売る方」みたいなことを言っていたのがとても印象に残っていて、でも、自分は作る方に回ることはないんだろうな、と思っていました。
ですが、コロナをきっかけにビジネストレーニングにゲームは有効で、しかもそれがオンラインであればなお良いという流れに乗り、やったこともないゲーム開発に取り組むことになりました。
ゲームを作ったことはありませんが、ゲームをやった経験は人一倍あったので、分析力がものを言って、全体のシステムをどうするのか、どの要素をどういう風に掛け合わせたらよいのか、また、そこにストーリー性を持たせてプレーヤーに少しでも良いので没入感を与えるにはどうしたら良いのか、などを考えて少しずつ形にしていきました。
プログラミングをする余裕はないので、ブラウザベースで出来るゲームをフリーのプラットフォームを活用して形にしました。
「なんかおもしろそう」で増える仲間
「ゲームを作ってるんだけど手伝ってくれない?」というと、ゲーム世代の人はなぜかおもしろがって進んで協力してくれて、特に報酬もないのに一緒に考えてくれたことは良い機会になりました。
最初は2人から始まり、3人、4人、5人、6人というふうにドラクエっぽくなっていき、最終的には大学の講義でゲームを取り上げてもらって、30人くらいの学生に経験してもらいました。
もともと、大学の講義で使ってはどうか、というゴール設定から始まった話なので、半年間でここまで達成できたのは非常に大きな前進だったと思います。
仲間への投資と活躍
仲間が欲しいと言い続けて5年、少し前からすでに部分的に協力してもらってはいましたが、今年の初めくらいから在宅ワーク常任で協力してくれる人を3人くらいに増やしました。
自分が苦手とする業務をお願いできることになって、こちらのストレスがとても減ったのと、時間の使い方に余裕が出てきたのはまちがいありません。
在宅なのでマイペースで仕事をしてもらえるし、制約が多い分、ムリなときは事前調整がスムーズなので非常にやってよかったと思っています。
ちなみに僕は以前から「ベーシックインカム」に強い興味・関心を持っていて、それは幼なじみがニートだからということもあるのですが、在宅の一人はその友達にお願いして月々一定額を支払ってみる、ということをやっています。
普通であれば、成果とか労働時間への対価を支払うのが当たり前ですが、とりあえず払うから何かやってくれ、の感じで、売上になるとは限らない仕事をつくってはやってもらい、の繰り返し。
特にうつ病とかではないので普通に仕事はしてくれるし、この前も「携帯買いたいから会社からの収入を書いてよいか」とか「奨学金返せた」とか前向きなことを言っているので、仕事をしてもらっている以上純粋な意味でのベーシックインカムではないかもしれないですが、多額ではなくても毎月の定額収入が、生活や精神の安定につながることを実感しており、ベーシックインカムのプチ実験はできたと思っています。
拡がる仲間の輪
事業を進めていると、今の自分が持っているリソースだけではできないことが出てきます。特に、プログラミングやデザインなどの技術的な部分、商品の認知度を高めて売上につなげる営業展開などは、僕にはできないので積極的にお願いするようにしています。
それに加えて、この秋から「中小零細企業のDXを推進するギルド」を作って、ゆるやかなネットワークを立ち上げました。まだ組織らしからぬ組織で、お互いに学習を進めている段階ですが、来年の今頃は一定の成果を見ているのではと思っています。
健康の重要性と労働集約型ビジネスモデル依存からの脱却
これまで、かなり前向きなことやうまく行っているような雰囲気のことをたくさん書いてきましたが、必ずしもそうではありません。
今の取り組みが売上に絶対につながるとは限りませんし、外部の仲間にお願いする代わりに費用は増えて、自分の給料は上げられない状態にもなっています。
また、7月に急病になり緊急入院して仕事に穴をあけてしまい、自分が動くことでお金を得られるビジネスモデルの限界とリスクも実感しました。
仲間とのネットワークがある以上、それを価値にして含んだ収益の請求ができれば良いのですが、その道筋をつけることが一つの課題。
そして、健康リスクは常につきまとうので、自分の健康維持向上に努めることはもちろんのこと、自分が動かなくても収益が安定的に立つような仕組みを構築することが次の課題。
これからも
以上の2つの課題を解決するために、
勉強する
人と会う(コロナ真っ盛りのときよりも少しハードル下がってきた)
これは継続する。
また一年後は良い内容を書いている自分でいたい
福岡で起業、6年目に入りました
2015年10月に会社を作ってから5年が経ち、6年目に入りました。
「よっしゃ乗って来たこれからやー!」
まさにそんなときにコ〇ナが来ました。
(もう見飽きてると思うので伏字にしておきます)
ご愁傷様Ω\ζ°)チーン
サバイバルゲーム
ベンチャーの起業生存率は
5年後 15.0%
10年後 6.3%
20年後 0.3%
だそうです。
とりあえず15%の生存率をクリア。
起業して5,6年経つとそれなりに自分の真の強みとかもだんだんわかってきて、至らなさもわかってきて、必ずしもうまく行くわけではないけど成功パターンが見える場合と、そうでない場合とかもわかってくる。
起業を目指している数人に対して、自分の経験をもとに個人的にアドバイスしていくと、「あ、それ○○さんも言ってた」と教えられて、他の経営者が同じことを経験しているのに気づく。
起業の初期段階である程度の成果を出すには、やはり同じ道をたどる必要がある。特に、労働集約型のビジネスモデルでは。これが多少の技術力があって、世の中に広く商品やサービスを普及させようとすると話がちがう。それはそのやり方がまたある。
いずれにせよ、起業後のサバイバルゲームはとてもシビアで、準備もなしに安易にやってはいけないし、やるべきではない。そのことは僕が一番身に染みてわかっている。
次のステージへ
最近思う。
なんか俺、こなれてきたな。
つまり、今のまま続けていったら間違いなく取り返しのつかない失敗をするのが感覚としてわかる。
数年前の、毎日びくびくしていた感じが今はかなり減った。
というか、そのびくびくを無くすためにもがき続けてきた結果の今があるので、その意味では良かったのだと思う。
でも、あの当時のがむしゃら感とか先が見えない中で試行錯誤を続けてきた苦しみを考えると、今の自分に前進と繁栄は待っていない。
じゃあ、その状態でなんとなくやっていきたいか?
否。断じて否!
次のステージに足を踏み入れる必要があるし、ここ数カ月の動きはその始まりだと思う。
がっくり来たのよ、ほんと
コ〇ナで色々な流れが止まったり鈍ったりする中で、自分が思い描いていた先の展開が大きく閉ざされたのは事実だ。
実は、コ〇ナがありながらも昨年一年間の第5期は、それまでの活動が実を結んで花開き、横ばいだった第3~4期の2倍以上の業績をたたき出した。
もちろん色々な方の支えがあってのおかげなのだが、自分ひとり体制でそこまでやれたのは感慨深いものがあったし、数年前の自分がそこまでできるとは思ってもいなかった。
ただ、実感として「今の自分ではこれが限界なんじゃないか」―そんな踊り場に乗った感覚もあった。これ以上やると、どこかで今の生活スタイルに無理を生じさせる、そんな気がしていた。
でも、行くとこまで行ってみようと思っていた矢先、コ〇ナはやってきた。
かつてない業績をたたき出した勢いと、見えていた先行きはすべて失われた。
僕は少なからずショックを受けていたらしく、緊急事態宣言が出て以降は、しばらく鳴りを潜めて何も考えないことにした。普通ならコ〇ナ後のビジネスのあり方を考えるとか、生産的な時間に充てるべきだったのだろうが、これまでの成功体験を捨てる意味で、リハビリが必要だった。個人的な「禊(みそぎ)」の時間だったのだろう。
仲間との協働が道を開く
毎年「仲間がほしい」と書き続けて5年。
相変わらず雇用という形での正式加入はまだないが、仲間と呼べる人たちとの協働体制はかなり構築されてきた。
新たな展開はそのような中から生まれた。僕ひとりで考えていても、決して生まれなかった流れだ。
簡単に言うと、コ〇ナになって企業は対面形式での集合研修が難しくなったので、じゃあ、オンラインでできるビジネスゲームを一緒に開発しようという話になって、実際に開発したのだ。
元々は、そのゲームを100円ショップの物とかを駆使して作成し、アナログで行っていたものを、オンライン化しただけの話。
ただ、ニーズとしてはそう多くないだろうと見ていたし、ほんとに誰か必要とするのかな、くらいに考えていた。でも、元々好きなゲームだし、少しでも広がるといいなと思って挑戦した。
進めると案外さくさく進み、1週間くらいで完成。2020年8月に会社のサイトにリリースした。ま、誰も見ないだろうな、とは思いつつ、一応。
そして1ヵ月後、1通の問い合わせが来る。
「オンライン研修で検討したい」とのこと。
え? まじで?
みたいな感じで対応したが、その話は流れてしまった。まぁまぐれだろう。
しかし、2ヵ月後、2通目の問い合わせ。
その1週間後、3通目の問い合わせ。
今度はオンラインで説明したら、どちらも反応が良くて前向きに検討してくれるとのこと。
これはどうやら偶然ではないらしい。
しかも、内容がかなりニッチなだけに、問い合わせをしてくるお客さんの質が、普通に営業していては絶対につながらないようなところばかりで、零細の僕からするとびびってしまう。
これまで積み重ねてきた成功パターンは、僕という個人をベースにした信頼関係のもとに紹介をつなげる黄金律だったが、今回の動きは質も量もまったく違う。
特定のニーズを満たすコンテンツについて情報発信することで、それを求める人が自らオンラインでつながってくる、まさにネット時代の成功パターン。しかも、コ〇ナ時代だからこその流れでもある。
「それ、当たり前でしょ?」と思われるかもしれないが、自分で実際にやってみて体験するのと、言うだけでは話が違う。しかも、狙ってやったわけではなく、一応発信しとこうかなくらいの気持ちで思い立ってやったので、驚きもその分大きい。
コ〇ナ前までの流れと成功体験を捨てる必要があった僕にとって、今回の流れはとても新鮮で、協力してくれた仲間にはとても感謝している。
もちろん、すべてをこの動きに変えるわけではないが、1本でもヒットを打てるように、まずは打席に立つ回数を増やしていきたい。
そしたら仲間の正式加入もそう遠くはない。
変わらないことと、少し変わったこと
勉強する
人と会う(んだけど、以前より難しくなってきたから、そのための努力をする)
コ〇ナ時代に少し寄せた自分と会社、また1年がんばる。
はてなブログでソースコードの背景色変更&コードハイライトやってみた
こういうのやってみたかったんです。
<?php $title = "「phpを学ぶ」"; echo "この文章のタイトルは".$title."<br>" ; echo ("phpの勉強は").("楽しい(白目)"); ?>
ところが最初うまく行かなくて
「はてな記法」に編集方法を変えてこう(>|言語名|(内容)||<)書くといいよ…
とのことだったのですが、書いてみると白背景になんとなく、な感じで、あれ?と思いまして。
最終的に、色々調べた上で↑↑のようにできました。
やったこと
デザイン設定へ
スパナマーク>フッタに下記コードを追加
<script> var codeBlocks = document.getElementsByClassName('code'); [].forEach.call(codeBlocks, function(e) { if (!/lang/.test(e.className)) { return; } var lines = e.innerHTML.split(/\n/); var codeBlock = ""; lines.forEach(function(line){ if(line != ""){ codeBlock += '<div class="code-line">' + line + '</div>' } }) e.innerHTML = codeBlock; }); </script>
デザインCSSに下記コードを追加
/*code-lineクラスの数でカウント*/ .code-line { counter-increment: linenumber; } /*行番号を擬似要素として表示*/ .code-line::before { content: counter(linenumber); display:inline-block; color: #ccc; text-align: right; width: 35px; padding: 0 15px 0 0; } /*コードブロックに言語名を表示*/ pre.code:before { content: attr(data-lang); display: inline-block; background: black; color: #fff; padding: 3px; position: absolute; margin-left: -10px; margin-top: -30px; } pre.code { padding-top: 30px !important; } .entry-content pre.code { background-color: #2E2E2E; color: #ffffff; } .synComment { color: #6272a4; } .synConstant { color: #ffff14; } .synIdentifier { color: #58ACFA; } .synPreProc { color: #a199c8; } .synSpecial { color: #c000c0; } .synStatement { color: #50fa7b; } .synType { color: #ff1493; }
ちなみに「言語名」は小文字で書かないと反映されません。
以上です。
福岡で起業、5年目に入りました
ご無沙汰してます、ハリーです。
インフルエンザのアーリアダプターになってしまい、最近39度超の熱でひとり苦しんでいました。
さて、今年もこの季節がやって参りまして、会社をつくってから4年が経ちましたので勝手に振り返ります。口調も変わります。
【過去記事】
harryike.hatenablog.com
あっという間だった
年齢を重ねると時が経つのが速くなるという。この一年を振り返るとがむしゃらに仕事をした気がするし、娘が産まれた現実に自分を追い付かせることが全てだったと思う。娘は日々進化しているので、自分をアップデートすることはしばらく現在進行形だろう。
昨年は三年間大口だった顧客の契約がなくなった状態からスタートし、先行きは不透明だったが、結果として前期でV字回復したままの業績が今期も横ばいで終わった。収益の構成が大きく変化しながらも数字を維持できたのは非常に大きかった。
それまでは不本意な仕事の割合が高かったが、自分と会社を繁栄させるための仕事や、取り組んでみたかった仕事が徐々に多くなっていった。
今、目の前に広がっている景色は昨年よりも前には当然見えていなかったもので、その調子で頑張ればここにたどり着けるのだと過去の自分に教えたいが、そんなことはかなわないし、同じようにこの先に何が待ち受けているかなんて、誰も教えてはくれない。自分の眼で確かめるしかないのだ。
「意志あるところに道あり」。
以前との違い
一昨年や昨年の同時期と決定的に異なることがひとつだけある。今期、つまり、この先の一年について一定程度の収益が見えていることだ。昨年までは大口だった顧客との契約がどうなるか毎年びくびくしていたし、自分の満たせるニーズなど何があるのか探り探りで進む以外なかった。
僕の人生では何度か「捨てる」ことが大きなテーマになってきたが、大口契約をある意味捨てる方向で動いていたことは正解だったのだ。周りからはおいしい話だったのにもったいなかったのでは、と言われたりもしたが、自分と会社の身を軽くする選択によって、その新たなスペースに入れられるものが現れるようになったのは偶然かもしれない。後になれば何とでも言えるものだし、都合の良いように解釈するように人間はできている。
いずれにしても、これまで勝ち得てきた実績の延長線上に自分と会社があるのは間違いないし、あの点がなければ、この線もなかったことに後で気付く。これからも謙虚と感謝を忘れずに生きていくだけだ。運は常に目の前にある。
誰と付き合うかは自分で選べる
社会に出るとそれまで自分が生きてきた世界がいかに狭かったかを思い知るが、サラリーマンを辞めるとさらに会社という世界の狭さを痛感する。
サラリーマンを辞めてから本当に色々な人と出会ってきたが、会社をやっていると自分がムカついた相手とは付き合わないという選択ができる。それが仮に顧客であっても、自分の好みにそぐわなければ関係をやめる権利がある。逆に、いくらこちらが関係を続けたいと思っていても、どうにもならないこともある。これは、将来一緒に仕事をする仲間が増えたときに大切にしないといけないことだと思う。本人が続けたくない関係と会社との関係を考量した際に、関係をやめるという選択肢も用意しておかなければならない。
仲間が増えるのはいつかな
ところで、サラリーマンをやっているときはあまり意識しなかったことだが、人を正規雇用するのに年間でいくら必要だろうか。
仮に年収額面が500万とする。
そこに、会社と個人が支払う社会保険料(健康保険と厚生年金、40歳以上は介護保険)を約30%見積もる必要がある。
つまり、500万×0.3=150万
これを個人と会社で折半するので75万ずつ
つまり、個人は500万-75万=425万がだいたいの手取りになる(所得税と市町村民税がさらにかかる)。これは給与明細にも書いてある。
ここで見落としがちなのは、会社が払う残りの75万。
さらに、交通費や活動諸経費を考えると年間で100万くらいは要る。
したがって、500万の年収で仲間に入ってもらうには少なくとも年間で
500万+175万=675万
ざっくり700万くらいは必要ってことだ。さらに会社を維持するための諸経費を考えるとあと数百万は要る。自分の給料を出そうとすればさらにさらに。
今、取り組みたいことはやれているものの、もちろん120%ではない。このまま自分の手掛ける仕事を拡充すれば、上↑↑で計算した金額も夢ではないのかもしれない(もちろんすぐには無理だが、そう思えるような所まで来れたのが奇跡みたいだ)。
要は自分の仕事の付加価値を高め、契約数を一定程度確保できれば良い。しかし、これはマンパワーに頼る労働集約型のビジネスモデルに過ぎない。
仲間が加わったときに相乗効果が現れるかもしれないし、あるいは、僕の仕事は属人的すぎるので再現性は低く、拡大再生産ができないのかもしれない。ほんと、他の色々な会社はよく人雇ってやってるなぁと感心する。
とにかく今のビジネスモデルにもやはり限界があり、何かしらの突破口を見つけなければ仲間を増やすだけの財政的基盤を構築するのは現状難しい。仮にたまたまその年にお金が確保できたとしても、その翌年はどうなのか? そんな不安定な状態で仲間を引き入れられるのか?
恐らく、ベンチャー企業やスタートアップの多くは初期の不安定な状態でも共に闘ってくれる仲間が複数いて、自分の将来や人生など顧みずに突き進めるだけの勢いとかエネルギーがあるのだろうと思う。それだけに、方向性がずれたときや対立が生じたときの不可逆性も大きいのかもしれない。
若さゆえを言い訳にするには少し年齢を重ねすぎたのだろうか。この辺の議論は数年前からぐだぐだと変わってないが、少しずつ進展しているような気もする。
同年代の経営者に刺激を受ける
共に闘ってくれる仲間はいなくても、一緒に考えてくれる仲間はいる。所詮、自分の頭だけで考えることなどたかが知れている。一緒に考えて、何の気なしの意見やアドバイスをもらえるだけで、それはとても有り難い。
今年の初め頃にひょんなことから高校時代の部活の後輩が起業して会社をやっていることを知り、コンタクトを取ったら全く雰囲気変わってないねということで懐かしくも、お互い独自の道を歩んでいることに驚きもした。
彼もほとんど同時期に起業していたが、一緒に闘う仲間がいて、紆余曲折ありながらも今は8名体制で頑張っている。彼と、彼のビジョンに共感して集まった人の出会いは僕にとっても大きく、心強い仲間を得た気持ちになった。
実際、この何をやっているか得体の知れない先輩のために何か色々と考えてくれていて、共働も生まれつつあるので今後の展開を楽しみにしたい。
副業万歳
フルタイムの仲間はまだ無理でも、部分的に共働してもらうことは可能だ。
優秀な能力を持ちながらもサラリーマンとして力を十二分に発揮できずくすぶっている人はいる。そのような方には会社という枠を超えてチャレンジしてもらうのが一番で、つい先日ようやく企画を実現までこじつけることができた。
お客さんに対して自分以外の人を前面に押し出すことが初めてだったので、僕にとってもチャレンジだった。
その方には会社に内緒で有休をわざわざ取って来てもらったので申し訳なかったが、これもまた何か歯車が動き出すきっかけのようなものになった気がする。
インターンのゆくえ
第一期生のゲイバー通いの女の子は卒業してある上場企業で働いているが、なんかチームがうまく行かないと相談してきてチームビルディングを学びたいと言ってて非常に頼もしい感じなので、色々アドバイスしといた。その後色々あってチームを引っ張る役目を与えられているらしい。たくましく成長してもらいたい。副業OKの会社なのでなんか巻き込むつもり。
第二期生5名は四年生になり、東京やら名古屋やら福岡やら、就職が決まっていて一人を除いていわゆるIT系。しかも二人は偶然同じ会社。
気付いたら最初の出会いからもう二年経過していて、最初は色々やらかして頼りなげなことも多々あったけど、いつの間にか普通に仕事がこなせるようになって、後輩も引っ張ってくれている。仕事は任せておいたら勝手に進めて忘れた頃に的確な報告が来るし、困ったらちゃんと相談してきて、そこそこのアドバイスを与えるとまた勝手に解決できる。5名ともそれぞれ個性の違いが顕れていて、もちろんまだまだこれからなんだろうけど強みを活かしてがんばってほしい。
昨年の11月に参加した第三期生は現在5名(2名が半年以内に離脱した)。一年次から参加している学生もいて、もしずっと続ければ都合3年半僕と付き合うことになるが、どうなるかとても楽しみだ。
三期生はこちらの事情で飲み会をするタイミングが遅くなったり、回数を設定できなかったりしていまいち距離感をつかめてない気がしていて、反省している。あと、先輩達が既に拓いた道を見ているのでインターンに臨む感覚もちょっと違うところもあるのかな、と思う節もある。
いずれにしても、与えられた仕事に一生懸命取り組んで、もちろん失敗はしながらもとにかく前に進もうとする姿勢には好感が持てる。どんどん失敗してほしいし、小さい成功体験を積み重ねながら彼・彼女たちがこの一年でさらにどう成長するのか見守りたい。
そしてもうすぐ第四期生の新加入時期。どんな出会いが待ってるんだろうか(というか、出会いがあるかもわからんけど)。
ちなみにこのインターンのウェブサイト制作実績は数えたら15件になっていた。今も増えつつあるが、大したもんだ。
国語力強化プログラム
ところでインターン生の一人がとある野望をもとに「小論文をまともに書けるようになりたい」と言ってきた。意志や希望を教えてもらうと何とかして応援しようというお節介の血が騒ぎ「毎週図書館に行って読んだ本の要約をブログに書け」という指令を出した。
良質なアウトプットをするには、まずはインプットの量を増やすしかない。量をこなす内に質は自ずとついてくる。多くの人がいきなり質を狙おうとするので途中でつまずくが、質を気にせずまずは量なら誰でも行ける。そして、継続することが何よりの力になる。
そんなインターン生が「早速行ってきました!」と連絡してきて、おお、と思って送られてきた写真がこちら。
詳細は割愛するが(するんかい)、その後も彼は読書をしばらく続けて数か月間ブログを書いていたが、後の方になるとかなり文章の内容に変化が現れてきて、やっぱりインプットとアウトプットの掛け合わせって大事だなと思った。
ちなみに、インターン生には「自分のために」日報代わりとしてブログを書きな、と何度も口を酸っぱくして言ってきたが、最近はあえて言ってない。先日も本当は書くべきタイミングがあったが、僕が何も言わなくても書いたのは10名中2名だった。その2名は既に反射的にか、意識的にかわからないけど手が動くが、8名は僕が言わないと動かない。それぐらい、自律的に継続するというのは難しいことなのだと思う。
よく経営者や上司をしている人から「(社員や部下が)やらないんですよねー」という愚痴を聞かされる。比較的時間のある大学生でさえ、自分のためでもやらない割合が8割。給料もらっている社会人でさえやるべきことをやらないとなると、それはもうそもそも人間ってそういうもんだと思わざるを得ない。だから、本当にやってほしかったら言い続けるしかない。言い続ける自分のことは段々嫌になるが、それでも必要だと思うならば言い続けなければならないのだ。そして、「あの人いっつも〇〇のこと言ってる」「〇〇のことしか言わない」と言われるくらいにならないと、徹底したマネジメントは難しいと思う。
僕の場合、インターン生がブログを書こうが書くまいが、はっきり言って僕には何の関係もない(もちろん、書いてくれたら楽しみに読む)。彼らのためを思って最初からしばらくは言うようにしているしルールとして課しているが、もう大人なんだし、自分でそういうことに気付ける人なのかどうか、冷静に判断している。だからいつまでも言いつづけることはしないし、自分にとって無意味だと本人が認識しているなら、強制して書かせても仕方ない。そんなところのマネジメントで消耗することこそ無意味だ。地味な蓄積ができないと長い目で見たときに厳しい部分も出て来ると思うが、それはそれ。気付いた時に修正できればいいと思う。
ただし、決められたルールをどうすれば自律的に守れるのか、そこはまだ研究の余地がある。また、パフォーマンスに影響する部分については今後も言い続ける。個人の課題と、会社の課題は別だ。
事前開示 > 事後指導
毎年インターンメンバーの育成やマネジメントについては、確たるものがあるわけではなく、試行錯誤を続けている。
「セルフマネジメントの原則」を追求しながらも、最近思っていることは仕事を進める上で自分が何を気にしているか、大枠の行動指針を先に示す方が良いだろうということだ。
僕が本業でやっている仕事は、その日その瞬間に来た案件に対応する短期的なものではなく、目標設定をし、納期を定め、プロセスを組み、創造性も働かせながらお客さんとの共働をしつつ、軌道修正も交えながらトライ&エラーで進む長期的なものだ。
これはとても当たり前だったが、よく考えてみると大学生がやっているアルバイトの仕事内容はほとんどがその場、その日に終わる超短期の仕事が多い。飲食や塾講師、小売の仕事など代表例を見て、はたと思い当たった。
そもそものスタンスの違いと仕事の性質の違いを踏まえた上で、長期的な仕事に取り組むための心構え(マインド)と仕事の進め方について、具体的なパターンを示しながら先に教えておくほうが良いと思い始めた。
前まではあえて落とし穴にはまったり、失敗することで学習も大きくなると考えていた節があったが、最近、自分の価値観や仕事の定石について明確にアウトプットできるようになってきたので、今度からは事前開示>事後指導で臨んでみようと思う。
インターングループが増えた
今年の5月に既存グループとは別の大学で、インターングループを新しく作ることになった。
こちらは仕事というよりは、大学(特定学科)の広報を真剣にやってみようということで、
ややサークルにも近い。サークルを仕事ライクに進めるとどうなるか、楽しんでやっている。
しかし、大学が異なるとやはり学生の雰囲気も異なるもので、面白いものだ。
組織のあり方について考えた
最近、会社の社名を変更した。実はそれまでの社名があんまりしっくり来てなくて、四年間ずっと悩んでいて、ようやく五年目の節目で変えるに至り、すっきりして気分も変わった。
それに先立ち、一体自分は組織としてのあり方について何を理想としているのか、明確にしてまとめることにした。お客さんに組織ビジョンと組織戦略策定を定めた方がいいですよとアドバイスして手伝う機会があり、ふと、あ、これって自分もやった方がいいなと思い、作ることにしたのだ。
それがまとまれば新しい社名も決まるかもしれないと思い、着手した。そしたら意外と面白くなって、今まで頭の中だけで考えてきたことを、望ましい組織形態や行動原則、目指すべきビジネスモデル、働き方などのカタチにして再構成しながら一気に書き出していった。
数ヵ月をかけて作成したが、ひとつの完成形として今後の展開を考える上で、考える軸になるし、原点回帰することで意思決定がブレにくくなった。思った以上の効果が得られたので、今後も洗練して周りの人に共有したいし、組織のあり方を明確にする支援を仕事にしていきたい。
この一年で変わったその他のこと
これ以上は長くなる(もう十分長い)ので、簡単に列記。
・子育てが始まった
・寝不足になった
・体調を崩しやすくなったのでこれからの一年は肉体改造に取り組む
・遂に酒量を減らすことにした
・美術館に月一で通うようになった
(VTSを知ったのでやってみようと思い、知人を誘って始めたらかなり面白かったので継続。博物館とかでもできる。思いもよらない他者の視点を学べるのは大きい)
・政治を理解し始めた(友人が選挙に出て議員になったのがきっかけ)
・キャッシュレスを始めた(インターンメンバーには交通費をLINEpayで払うとか)
・AIの勉強して資格を取った
・お世話になっている方が設立した法人の理事になった
・自分が作った社団法人は全く活動せず税金だけ払ったが、お世話になっている方に理事になってもらったのでこの一年で活動をしたい
・哲学を本格的に勉強し始めた(ソクラテスから)
変わらないこと
勉強する
人と会う
これは変わらず続ける。
以上、長々とお読みいただきありがとうございました。
4年間ニートだった幼なじみが社会復帰して@30歳、またニートになった話@35歳
タイトルでオチ着きました。
さて、どうなるでしょうね。
インターン生が6名から13名に増えた話
ども。福岡でコンサル会社をやっているハリーでございます。
本業とは関係ない所で、2016年11月から始まった
「大学生をその辺のサラリーマンより仕事出来るようにするぜプロジェクト」
(あれ、そんな話だったっけ・・・)
スタートからいつの間にか2年が経過しました。
ゲイバー通いの2年生女子(ノンケ)がいつの間にか4年生になって立派に仕事をこなすようになり
1年前にひよこのように参加してきた7名は、驚くほど仕事ができるように成長し
(7名のうち1名は、自分の事業をやりたいからと離脱。これは当初からの予想通り)
それまでの途中経過は過去の記事をご覧いただければ…
つらつらと現メンバーについて
昨年参加のメンバーについては、最初3か月ほどの初期教育を終えた時、何となく一区切り着いたところで話し合いの場を設けて「どうする? この先はマジな世界だけど、やる?」
みたいな感じでみんなの覚悟を聞いた。
そうすると、意外にも「やります」とみんなから答えが返ってきた。とてもいいことだと思った。
(くっくっくっ、これからがほんとうの地獄だとは知らずに・・・)
実質6名のメンバーを、2チームに分けて仕事を持たせた。片方は地場の醤油醸造元の会社さん、もう片方は自分が所属しているサークルのウェブサイト制作を担当。
途中もブログに書いたけど、「セルフマネジメント」の原則に則って基本放置(と言いながら、もちろん手心は加えた)。
醤油チームは会社訪問したり、忙しい社長に電話かけたりメールしたり、返事なくて悶々としたり…
その間、デザイン面を強化するためにイラレとフォトショを学生が使用できるよう環境整備(金は僕が出す)。後、2回くらい飲み会したかな。月に1~2回集まって現状共有しながら、後はLINEで全てやり取り。チームと顧客とのやり取りには僕は一切入らない。後は野となれ山となれ。
確か今年の2月くらいからチームのやり取りが始まったけど、最初は何かを言わなくちゃとずっと思ってた気がする。うまく行ってないんじゃないかとか、報連相ちゃんと教えてないんじゃないか、とか。色々考えた。
でも、ぜんぶそれやめた。
セルフマネジメントを基本にしつつ、時折思い出したときに確認してみて、うまく行ってなかったら何か言う事にした。でも確か、時々かなり厳しいことを言ってたと思う。そりゃ、完全放置はダメですよ。
最近本人から聞いた話だけど、うまく案件が進まなくて僕から数回厳しく言われたことがイヤで、やめたかったそうな。でも、根性ある子だったし、やめなかった。えらいえらい。その経験、社会人で初めてだと、相当つらくなって辞める。
サークルのチームは、多少障害がありながらも何とか4月までに完成できた。醤油チームは、結局当初のスケジュールから大幅にずれて、最近ようやくほぼ完成して公開した。途中で仕様変更があった(通販機能を入れることが決まって、めちゃくちゃハードルが上がった)のと、社長が忙しかったのと、本人たちの進め方も一部原因。そのあたりはチームが一番よくわかっていると思う。
この間に、仕事がぽつぽつと増えて、メンバーの組み合わせを変えてチームで担当する。一つは埼玉県のカフェを開かれる方、一つはインターンメンバーの一人がやってる仕事を手伝うということでそのサイトづくり(結局、それはうまく行かなくてチームは解散した)、一つは飲食店、一つは政治家の卵…みたいな感じ。
途中から4年生にも加わってもらった。彼女はその間にも企業のサイトを一個任せてて立派に一人で仕事がこなせるのだけど、チームの良さも知ってほしいし、今後就職したときに協働の難しさと良さを知ってほしかったので、彼女にすべて任せた。僕は一切何も口出ししなかった。
そうしたら、カフェもかなり良い出来だと思ったけど、飲食店の出来はマジでビビるほどにいいものを作ってきた。しかも相当短期間でやったっぽい。僕がやるよりも、圧倒的に質が高いサイトが出来て、「こりゃ俺負けたわ」と思った。
後でチームがどんな動きをしていたか、具体的に聞いたけどなるほどなぁと感心させられた。こっちが何も言わなくても、チームビルディングとか温め合いとかを、勝手にやってる。大したもんだ。
(あれ、俺の専門って「組織づくり」だったよね・・・俺って要る…?)
どのチームも、時間がかかった醤油でも、他のカフェや飲食店でも、顧客からは非常に良い反応を得られていて、俺なんもやってないけどなんかいいことしたな、と思った。
インターン・プレゼン大会やるよ
そんなこんなで1年経ったので、2か月後にインターンの取り組みを振り返った成果発表プレゼン大会をやることにした。
デザインが得意な女子学生一人が予想通りの内容をブログに書いてくれてて草
・インターン成果発表会について
一年間の活動についてアウトプットするらしい。つまりプレゼンwithパワポ…私、個人と醤油とカフェと飲食店でしょ…? 多い多い多い……めっちゃ嫌だ…どうせ頭真っ白になって失言オブ失言からの墓穴で死にたくなるんだ…めっっちゃ嫌だ…メモ先輩は心の支えにはなってくれない…未来予知じゃん………めっっっちゃ嫌だ…うっ……ほんとめっちゃいや…もう涙出そう…
他のメンバーもそれぞれ前向きな反応で(↑の子も彼女なりに前向きなのだと勝手に解釈)、就活も控えてるしちょうどいいかなと。
4年生の子は2年間の集大成ってこともあるし、楽しみですな。
ちなみに、発表会の話し合いの時にプレゼンやスライド作成の研修を簡単にして、スティーブ・ジョブズがiPhone発表した時の動画を見せた。
新メンバーは7名
一つの節目を迎えつつあることもあるし、仕事の内容が単なる制作からその後の面倒を見るところまで仕事の幅が広がりつつあり、新メンバーを募ることにした。
お世話になっている大学の先生にご相談したところ、有難いことに快く応じてくださって、3~4名ですかね、という感じで集めていただいた。
そうしたらイキのいい1年生の男の子が前日の飲み会で誘い、こいつ誘ったらいいんじゃないかという子を誘い、なんだかんだで興味がある子がもう一人増え、ふたを開けたら結局7名になった(1年生男の子3名・2年生女の子4名)。
初回の面談を経て、みんな参加するのかなと思ったら2名から辞退の連絡があった。
ふむ。
なるほどね。
しかし、それで引き下がるほど僕は甘くない。
(地獄への片道を突っ込んだ以上、帰れないのだ…くっくっくっ)
辞退のメールをもらってから、あの手この手を使ってやり取りをして、2名の辞退の意思を覆し、7名全員の参加となった。どうなるんだろね。
で、先日第一回目の初期トレーニングが行われたけど、なんか新鮮だった。すごーくまじめに話を聞くし(今のメンバーも聞くけど)、熱心にメモも取るし、質問やコメントもちゃんとするし。やっぱ楽しいね。
で、4年生の子にも来てもらって、このインターンの意味とか僕との付き合い方とかをプレゼンしてもらった。
初っ端これ。
これはもう伝説。
新メンバーには内容もさることながら、「プレゼンのうまさ」や「スライドの洗練さ」などもかなり刺さったようだ。良い刺激になったようで何よりデスネ…
というわけで、僕もインターンも、現メンバーも、参加してくれた新メンバーも、それぞれ新しい局面を迎えつつあるので、今後が楽しみだなーっと。
福岡で起業、4年目に入りました
どうも。
ハリー@福岡の経営者です。
ウェザーニュースって会社がAI入れてわりと細かく天気予報できるようになった、というのをテレビで見ました。
今日、別の団体が作ったアプリが思いっきり予報を外しました。
なので、ウェザーニュースのアプリに入れ替えました。どうなるだろ。
さて、本日10月23日は、僕が作った会社の設立日です。世間では、「設立記念日」とか「会社創立記念日」とかで、お祝いとかしたりするらしいんですけど、今も一人でやっている僕にとっては日付を見た瞬間に、「あ、そうか」みたいな感じでした。今夜はビールでも飲もうと思います(いっつも飲んでるけど)。
それで、毎年この時期になると1年を振り返ってブログ記事を書いていて、去年、おととしと書いた記事を読んで懐かしい感じになったので、今回も書こうと思います。なぜか口調が変わりますがご愛敬。
ちなみに過去記事。
今年で「4年目」に入ったところ。サラリーマンを辞めたのは6年前。はぇーな。そりゃ年取るわけだ。
やっぱりね
今年の9月、設立のきっかけとなったクライアントから
「来年は契約更新しません」
と告げられた。
そりゃないよ。お宅が契約するなら会社作れって言っていうから作ったのに。当初の活動内容に見合った見積だしたらさんざん減らすに減らされて、担当の人と「バイト代みたいなもんですね」と笑い合ったあの日はなんだったのか。
途中で担当者が代わって、「契約ではこういう約束だったんですけど」と言ったら
「なかったものとして考えてください」
と言われたり。
それでも頑張って、身を削りながら貢献できたと思っていたけど
「やっぱりね」
という思いだった。
起業するならビジネスモデルが重要
やっぱりねって思ったということは、前々からそうなるだろうと思ってたということ。さすがに、永続的な関係は難しいというのはわかっていたし。
担当者が代わってから、何となく切りたそうな空気は出していたし、去年、3年目に更新できたのは正直、奇跡だったかも。
契約を切る話のときに担当者の課長の方が
「いやぁ、私はすごくよくやってくださっていると思うんですけど、会社の方針として人員配置等も含めて…」
と一生懸命弁明されていたのだが、まぁ、この人は内にも外にも自分をよく見せたがるし、周りに対する評価を落とす言動も過去にあったし、この人の器で行くとそんなもんだよな、と。担当者交代による事情変更は、「仕事あるある」のベスト3入りすると思う。担当者はガチャ。こっちが課金するわけじゃないけど。
実際、やがて来るとは分かってはいたものの、最後通牒を突き付けられるとショックはショックで、しばらくふてくされていたのは事実だ。
しかし、色々書いたけど正直なところ、別にクライアントにも担当者にも恨みも何もない。仕事のレベル感も内容も、対価も、やがては捨てないといけないものだったし、逆に、何の実績もない人間を信用してくれて3年間仕事と報酬をくださったこと、そして、会社を作るきっかけを与えてくださったことには、感謝しかない。
「足を向けて寝られない」レベルかというとそうでもないけど(笑)、何か悪感情が残っている感じでもないので、今後も当たり障りなくお付き合いできるんじゃないかと思う。
そもそも、僕が立てたビジネスモデルが甘かったのだ。それに尽きる。一人でやることの限界だろう。次に新しく事業を始めるなら、徹底的にビジネスモデルを突き詰めて考え、議論し、起こりうるリスクを踏まえた上で、事業計画を実のあるものにするしかない。経験して、その重要性が真にわかったことは、今後の僕にとっても非常に重要な意味を持ったと思う。なんてったって、やってみないとわからないことだってあるからだ。
もっと言うと、薄々僕はそれに気づいていて、会社の名前や事業内容を広く設定していたのも事実だ。この3年間の経験を踏み台にして、ようやく会社を次のステージに成長させるところに来たのだ。3年、長いようで短かった。
事業計画っておいしいの?
僕は去年の10月末に、事業の現況を整理し、今後の見通しをつけるために事業計画を作った。多くの場合、事業計画は起業する前に作成する。なぜなら、融資を受けたり資金調達につなげたりするためだ。
僕の場合、裸一貫、何の後ろ盾もなく、多額の設備投資もなく、人を雇うわけでもなく、見栄を張るわけでもなく、雑草が芽を出すように誰に気付かれることもなくひっそりと起業した。
だから、事業計画なんてものもなかった。でも、さすがに2年くらい経過すると色々な経験や知見が溜まり、自分でもリソースや今後の展開がわからない複雑な状況になってきたので、いったん状況を整理しようと思って作成した。
いっちょまえに業績推移と今後の計画なんてものも作ってみた。おー、これが「絵に描いた餅」ってよく経営者の人たちが言うやつか、と思った。もちろん、現実離れした数字ではなくて「こうなるといいな」みたいな。
そして、今後の展開として、可能性のある事業について詳細に記述した。今後、こうなりそう、いや、なるといいな、みたいな。
つまり、過去と現状を踏まえた内容半分、夢と希望と思いが詰まったものが半分、「おいしいほかほかの事業計画書」の出来上がり。
え、まじで…?
事業計画書を作って、僕は何人かの懇意にしている人に書類を渡して、僕がどうなってるのか理解してもらうことにした。
その中には僕の親友も含まれていて
「これ、そのまま銀行持っていったら融資受けられるんじゃない?」と実際に経験のあるやつからもコメントをもらった。
もう一人は、一緒に色々と考えてくれて、その後の展開について逐一状況を確認しあえるようになった。仲間は大切だなとしみじみと思った。
他の方からは「こんな大事な内容を共有してくださってありがとうございます」とお礼を言われた。
なんかすごくいいことをした気分。
そして、事業計画書を作った直後の昨年の11月から、事態は急展開する。決して、狙っていたわけではなかったが、可能性のある事業が花開いただけだ。でも、そんなに速く実現するとは思ってなかった。これも、運だね。運。実力じゃない。
また、昨年10月ごろから温めていた新クライアントとの契約も今年の4月から実現し、半年間わりと大きくて重要な仕事をいただけた。僕がやろうと思っていたことだったので、とてもありがたかった。
その仕事が9月でいったん終わったのだけど、追加提案をしていて、受け入れられればまた仕事はできそうだ。
最後に、これも4年前からお付き合いのあった方が仕事をくださって、まとまった売上が4月に立った。これもでかかった。感謝感謝。
V字回復
そんなわけで、会社の2期目は赤字にしてしまったのだけど、色々な方とのご縁や運のおかげで会社3期目の業績はV字回復を実現し、事業計画書の業績見込みを1期早く前倒しで実現できる結果となった。
この展開には僕も親友も驚いたし、いやー、世の中何があるかわからないもんだなと思った。
まさしく、勝ちは勝ちの不思議あり、負け負けの不思議なし。
安定などない
とはいえ、別に今の仕事が永遠にあるわけではないので、会社が永続的に安定するような基盤を築けているわけではない。そんなもの、あるんだろうか。
それに、やはり年間契約がなくなることは、財務的には痛い。もちろん、トレードオフとして時間と色々な厄介ごとは無くなるのは良いことだ。
なくなる契約ほどのものではないが、ご縁がご縁でつながり、この10月からは新しい仕事もできた。これもまったく偶然の出来事から生じた種なので、狙ってない。ほんと運しかない。
社運をかけた一大事業
ところで、僕は2018年が始まる前に、「来年は勝負の一年」にすると決めていた。いや、そうなるだろうと、何か予感していた。
そして実際、仕事をめぐって色々な展開があり、一喜一憂し、紆余曲折が今も生じているさなかだ。それだけでも、僕は十分に勝負があったなと思っていたのだけれども、年間契約が切られる話があった今年の9月以降、事態はさらに急展開を見せた。
僕は今年の春くらいから、あるテーマについてとことん深掘りしていた。そのテーマは、もちろん僕の仕事が関係することだし、僕がこれまでずっと悩んできた問題に対する一つの解決策、つまり、一筋の光明に見えた。
最初は、何気なく見つけた言葉だった。ふーん、くらいの感じで検索したら、日本ではまったくといってよいほど説明がされていなかったし、その枠組みをもとに取り組まれてもいなかった。
元々は海外の文献で見つけた言葉だったので、試しに海外の記事を調べていくと、およよ?と思った。その文献に触れられていた説明とは異なるレベルのことが書かれていて、アカデミックな研究も海外ではかなりされていることがわかった。日本での研究例は、ゼロ。
その瞬間、僕の中で何かがピンときた。
これは、僕がやるしかないんじゃないか。いや、この問題について悩んできた僕こそがやるべきだ、と。
それから、海外の第一線の人が書いた記事を読みあさり、色々な取り組みを知り、研究論文も読み、日本で水面下で展開されている事例も踏まえた上で、僕の会社のサイトに記事をアップした。とある人の集まりの場で、発表したりもした。
日本では体系的に詳しく説明されている記事が皆無なので、そのキーワードで検索すると、今のところ会社のサイトが上位にヒットする。実は、この手法は過去にこのブログで学んだことだ。誰も調べていないこと、書いていないことを、素早く日本語でまとめて公開する。そうなると波が来た時に最初に乗れる。当たり前のことだが、先読みができないと難しい。
僕はそのテーマを日本で共有していくことを考えた。色々な場で紹介していくと、時代の流れもあってか、多くの人が関心を寄せてくれることがわかった。何せ、誰も否定できない考え方だからだ。かといって、当たり障りのない、口当たりの良いだけの話でもない。きわめて実務的で、組織を革新・改善するための枠組みだ。
それに、今まで僕のやっていることをみんな理解しにくかったようだが、この枠組みを通すと、あら不思議、みんなよく理解してくれるようになった。これはつまり、経営者レベルの人にわかりやすく伝えられるということだ。
そして、記事を公開してしばらく後、色々な経緯を経てある会社のキーパーソンの目に僕の書いた記事が留まった。そこからの展開が恐ろしく早く、協働研究・開発のために勉強会が開かれ、参加者の方がクライアントに提案し、採用されるにまで至っている。
もちろん、まだなじみがない言葉ではあるし、経営者の中には理解が及ばない人もいるかもしれないし、実務的なプロセスとして確固たるものがあるわけではないから、色々な難しさはあるが、これからは時代の流れも後押しして、日本では主流になると思っている。というか、そうする。これは、僕の会社の社運をかけた取り組みなのだ。
展開構想
心理学者のアドラーは「人の悩みはつきつめると人間関係の悩みに行き当たる」と言った。
僕は「働く人の悩みは、組織の悩みに行き当たる」と思っている。
そこで僕は、見つけたテーマについて取り組み、紹介した人の反応を見て、考える中で、「このテーマは僕だけのものにしてはいけない」と思うようになった。
人の役に立つ良い考えであれば、それは、もっと世のため人のために共有される方がいい。それが組織をもっとより良くして、日本社会が、そして、そこで働く人たちが幸せになるのなら、そうあるべきなのだ。
そう考えた結果、僕はこのテーマを会社の手から離すべく、より公益的な社団法人を設立してそこにテーマを預けることにした。一般社団法人は、自社ビジネスにつなげるために作る我田引水型のパターンが多い。しかし、このテーマを一人では実現できないことがわかりきっているので、僕はより多くの協力者が必要だと思っているし、主旨に賛同してくれる方たちとメリットが分け合えるのならば、本望だ。
懇意にしている司法書士の方に主旨を説明して、設立の手続きをお願いしたところ
「私が手がけた中で、公益性の高い一般社団法人の例を初めて見ました。ぜひ私も応援させてください」
とありがたい言葉をいただいた。
ゆくゆくは、研究所を設立し、日本におけるアカデミックな研究を支援して、より実効性と根拠のある取り組みを公開できるようにしたいと思っている。そして、そのための布石はすでに打ってある。
仲間が欲しい
こうなってくると、一緒に働いてくれる仲間がいよいよ必要になってきていて、会社の取り組みと、社団法人の取り組みと、とやっていると段々と手が回らなくなってきている。それに、時間と手間をかけてやるべきことも多い。
僕の会社のインターン生や大学時代の友人に一部仕事を頼んだりしている。まじで助かっていて、ほんとに仲間って大事だなと痛感。仕事量としては、本格的になってきたらこりゃまずいな、という段階に来ているように思う。僕一人では何もできない。が、僕はとにかく一歩を踏み出す。
しかし、先立つものはやはり「お金」。
どうすっかなー、どうなるんだろうなー、というのが現状。
インターン生について
現在、7名の大学生が僕の所でインターンをやっています。
最初に来たゲイバー通いの子は、ついに2年になりました。よくこんなおっさんに付き合ってられるわな(笑)そんな彼女もあと半年で卒業なので、今からどうやって送り出そうか、僕に染まりすぎてすぐに会社辞めたいとか言い出すんじゃないかとか、色々心配している(それはないと思うが)。正直、もうこの子はいっぱしに仕事ができる。ほっといても勝手に進められるし、進まないときは僕にちゃんと相談する。大学生でこのレベルってすごいと思う。この子を採用する会社はまじで僕に感謝してほしい(何なら教育代も受け取りたい)。
そして、去年受け入れた6名は1年が経過。振り返ると、みんなかなり仕事出来るようになったな、と思う。実際に社会の人に対して成果を出すということに責任もって取り組み、実際に評価も報酬もいただくなかで、かなり成長したと思う。やり取りをしていても、その辺のサラリーマンよりもよほどしっかりしてる。たぶん、入社したら同期からは頭一つ抜け出ると思う。もちろん、その後は本人の努力次第なんだけども。ほんと、この子たち採用する会社、僕に感謝しろ(教育代!)。僕は喉から手が出るほど彼・彼女たちが欲しいが、今はその余裕がない。
いずれにしても、彼らから得られるものは多く、彼らが望む限り続けようと思う。新しい学生の加入もありかな。タテの流れが続くと良いんだけど。
変わるもの、変わらないもの
さて、来年の今ごろは果たしてどうなってるんだろうか。
何にしても考えてばかりでも仕方ないので、
勉強する
人と会う
これを継続してがんばっていこう。
また来年、楽しみに。