ハリーのタカの目ブログ

起業日記になりそうな予感

4年間ニートだった幼なじみ@30歳が社会復帰した話-その⑤「登り詰めた僕が見たもの」

こんにちは、ハリー@福岡の経営者です。

気付いたら間がだいぶ空いていました。久しぶりにこのシリーズの続きを書きます。

 

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登り詰めた僕

サラリーマンの真の願いはなんだろう。

出世すること?

給料が上がり続けること?

会社がつぶれずに自分が定年まで勤められること?

できれば楽して働くこと?

仕事のやりがいが得られること?

しがらみから離れて起業か独立して自由にやってみること?

そんなものは人によるだろうと思う。価値観は十人十色だから。僕がサラリーマンとして願ったことは組織を動かすことだった。自分なりに組織に影響を与えてよりよい将来目指す。その経験があればよい。給料などは後からついて来ればいい。そんなことを思って、僕は力を発揮すべき時は発揮し、特にやることがなければビジネスの勉強し続けた。

その後、色々なポストを経て僕はその会社の社長になった。入社してから5年目のことだった。血縁もない中小企業で社長になることは、あまり聞かない話ではあるが、必ずある。会社が、過渡期を迎えていたところで、僕が様々な経緯を経て抜擢されたのだ。

僕は単なる雇われサラリーマン社長になるつもりはなかったので、経営に責任を取るつもりで数千万円の借金をして会社の株を買うことにした(給料は跳ね上がったが、手元に残るお金は以前とほとんど変わらなかった)。

 

登ったところから見たもの

社長というポジションから見える組織の内外の景色は、これまでとは違った。いや、違うと僕が錯覚したのだろうと思う。これまで普通に接してきた社員の人たちも、一歩退いたところで接したり、僕自身が微妙な距離感を感じていたと思う。

だからと言って、急に僕が居丈高になったり、威張り散らして怒鳴ったりすることはなかったと思う。もしかしたら、周りの人は何かしらの変化を感じていたかもしれないが。

いずれにせよ、その頃の僕は自分のことでとにかく一生懸命で、周りのことを忘れていた。ジミーのことも、もうあまり考えることはなかった。

ふと思い出したとしても、彼にかける言葉など思いもつかなかったと思う。僕はその高いところから、彼を見下ろしていただけだからだ。

若かった僕は、自分の力にウェイトを置きすぎていたのだと思う。もちろん、自分ができないことを周りの人に頼んだりお願いして、仕事を進める感覚はあった。自分ひとりでは何もできないのだから。

だが、キャリアについては自分の責任でつかみ取って行かなければならないのであって、何も動けないのはダメなんだよと思っていた。この時点で、僕は色々と勘違いしていたのだと後で気づくことになる。

 

家の中に閉じこもり続ける、ジミー。

お山の大将になったと錯覚した、僕。

 

そこに見た目の大きな違いこそあれ、本質的な部分では何も変わらなかった。

僕とジミーは、心の奥で「孤独」を感じていたのだ。

(続く)

4年間ニートだった幼なじみ@30歳が社会復帰した話-その④「ブチキレた僕」

こんにちは、ハリー@福岡の経営者です。
とても心温まることに、豪雨により被害を受けたのではないかと色々な方からご心配をいただきました。幸い、私の住んでいるところは特に大きな問題もありませんでした。福岡や大分の中でも特に被害の激しかった地域にお住いの方や被害に遭われた方々に心からお見舞い申し上げます。

このシリーズの続き、第4話目です。すべてノンフィクションです。  

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先の見えない再就職活動

ジミーは、あこがれの東京での仕事を辞めて福岡に戻った。小学校からの仲間として今もつるんでいる友達たちは、「福岡に帰ってきてよかったやん」と言ってジミーを歓迎した。僕もジミーとよく会えることになったのは、嬉しかった。

しかし、大切なのは次の一歩をどう踏み出すかということだった。友達とはいっても、何か具体的に世話をできるような力を持った人間はジミーの周りにはいない。僕も無力だった。自分の道を決めるカギを握るのは、当然、その本人であるはずなのだ。だけど、そのカギ穴は一体どこにあるのだろう。だから、それを探すのも本人次第で、自己責任といえばそれでおしまいかもしれない。

「これからどうすると?」という僕の問いに対して、

「福岡のIT企業でも受けてみようかな…」定まっていない表情でジミーは答えた。

僕はサラリーマンで平日は忙しかったし、夜は疲れて特に何もすることなく眠っていた。そんな毎日だった。ジミーのことは、もちろん時折思い出して連絡を取ってみる。お互いの家は歩いて5~6分のところだから、顔を見に行った。

「就活どう?」

「うーん、企業を探しよるんやけど、なかなかね」

以前ジミーと話をしたときから、数ヵ月が経っていた。僕はジミーのマイペースぶりをよく知っていたし、それで何とかなるならいいかと思っていた。

今ならわかるが、人が生活リズムを整えて規則的に何かをしない限り、数ヵ月を経過するというのは普通ではなかったのだ。玄関先で少し言葉を交わしたりする程度で、近くで顔を見て色々な反応を見ながら話すわけではない。僕はその先の展開を甘く見ていただけだった。

そうこうするうちに、ジミーの口から「警察の試験を受けようと思う」という話が出た。企業への再就職がどういう経緯をたどったかはよくわからなかった。もしかしたら受けてみたかもしれないが、書類で落ちたのか、面接でダメだったのかもしれないし、そもそも受けなかったのかもしれない。

 

チャンスに二度目はない

当時、26歳の僕はキャリアのキの字も理解していなかったと思う。それに、「自分の力で自分の人生は何とかしなければならない」と思い込んでいた。ジミーが決めたことならば、後はそれを応援すればよかったのだ。

僕は、僕なりに支援になればと思って、その頃始めたジョギングにジミーを誘った。自分でも笑えるが、「いい男にならなくちゃ」と思ったことがジョギングを始めたきっかけだった。別に目指せイケメンとかリア充万歳とかそういう話ではなくて、身体を鍛えておくことは先を考えた時に悪くないと思っただけだ。そして、いい男は身体を鍛えるものだと思っていた。

暑い中、走るのはとてもきつい。最後の方は顔をくしゃくしゃにさせて、もうこんな思いはしたくないと思いながら必死に身体を慣らす。しかし、走ることで僕は日ごろ自分の中に溜まっている何もかもを、流し出すことができると感じていた。とにかく、僕は土日にひまさえ見つければ走った。

警察試験には体力テストがあると聞いていたので、僕はジミーを誘った。家に閉じこもっているのも不健康だし、走り慣れて体力をつけなければテストもパスしない、一石二鳥だと思った。

だが、僕はここでもミスをした。高校卒業以来ほとんど運動習慣がない人間を相手に、いきなりジョギングというのはハードルが高すぎたのだ。ジミーは健気に、僕の誘いに乗って一緒に走った。それはよかった。しかし、少しして「ひざが痛い」と言い始めた。それはそうだ。

僕たちはジョギングをやめて、10年以上前に歩いていた通学路を再び二人で並んで歩いた。子どものころは、大人になってそんな風景が訪れるなんてまったく思いもしなかった。

僕は一週間後に、またジミーを誘った。次は反省を生かして、少しゆっくり走ったり、ウォーキング程度でやろうと思っていた。でも、玄関先でジミーは「自分のペースでやるけんいいよ…」と言って今度は走らなかった。隣にジミーのお母さんもいたのだが、残念そうな顔をしたお母さんの表情は今も忘れられない。僕は、それからジミーを誘うのを止めた。

ジミーはその後、やはり体力テストで落ちて警察官にはなれなかった。そして、何も起きないまま数年が経過した。その間、僕とジミー、そして共通の友達たちは中学時代の恩師と時折一緒に飲む機会があり、そこで顔を合わせる程度だった。でも、もう誰もジミーの今の状況について触れなくなった。

 

ブチキレた僕

ある日、同じように中学時代の恩師と仲間内で飲むことになった。その日はなぜだったかよく覚えていないが、かなり酒が進んだ。僕は酔うとよく話すようになる。話しにくいことを話したりもする。その日、特にジミーの将来のことを話すつもりではなかったが、何かの拍子に話題がそこに移った。僕は、結局そのことをずっと気にしていたのだろう、ここぞとばかりに話をかぶせた。

バイトをするわけでもない、就活をするわけでもない、今後の展望があるわけでもない。ないない尽くしでこの先どうするんだ、お父さんとお母さんに申し訳ないと思わないのか、とほとんど説教だった。それまでのジミーの煮え切らない反応に僕は我慢できなかったのだ。細かいことはもう覚えてないが、僕はすごい剣幕でとにかく怒ったのだと思う。

後で一緒にいた友達に「ジミーが怒られようのに、先生も俺らも、しゅんとしとったけんね(笑)」と言っていた。

だけど、それも僕の若さだったと思う。怒ったからといって、何が解決する?何が変わる?一番何とかしたいと思っていたのはジミーだったし、もう何をどうしたらよいのかわからずに苦しんでいたのも、他ならぬジミーだったのだ。

誰もがこのままではいけないと思っていながら、誰もどうすることもできなかった。

そしてまた、時が少し過ぎた。僕は、勤めていた会社で抜擢されて、会社役員に上り詰めていた。

(続く)

4年間ニートだった幼なじみ@30歳が社会復帰した話-その③「リーマンショックがもたらしたもの」

こんにちは、ベランダで育てているキュウリが他の植物をツルでつかんで枯れさせたことにショックを受けている、ハリー@福岡の経営者です。

今回このシリーズ第3話目です。すべてノンフィクションです。  

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未来を向いて話をする

ジミーとは、僕がサラリーマンをして、彼もサラリーマンをしているときにやり取りをずっとしていた。メールをしたり、今はなつかしきWindowsメッセンジャーを使ったりして、日々の何気ない話や仕事の状況など、情報交換をしていた。

ある日、僕は東京に出張で行くことになった。土日をからめることで東京滞在を伸ばし、僕はジミーと久しぶりに直接会った。日常的にやり取りはしていても、やはり顔を合わせて話をするのはよいものだと思う。

その時彼は平塚に住んでいて、泊めてもらうついでに一緒に飲みに行った。鶏料理がメインの雰囲気の良いお店で、カウンターで二人で座った。よく考えると、社会に出てから二人だけで酒を飲んで話すのは、これが初めてだったかもしれない。僕は、話し込むときはカウンターに座ることにしている。人は、お互いを見ている時よりも、同じ方向を見ながら話す方が色々と話しやすい。

 

「入社する前と入社後の話が違う」ジミー、悩む

やや元気がなさそうなジミーの口から出たのは、「実は社内で色々あって、入社前に予定されていたものとは別の職種になった」ということだった。

詳しく聞くと、元々はクライアントと開発現場を出入りするような営業職に就くはずで、本人もそれを希望して会社に入った。しかし、ジミーより先に入社してその職種に就いていた先輩社員が、会社を辞めてしまったのだという。会社としては若手を辞めさせたくないため、その職種を廃止して後から入ったジミーを現場(プログラマー)に配属した。

人事は、ときに温情的で、ときに冷酷に見える。僕は会社の経営サイドで日々起きることを目にして、経営者がどう感じ、何を考えているか間近に見ていたのでジミーに起きたこともよく理解できた。人事というのは、そういうもので、割り切れる部分とそうでない部分がある。結局は、会社の都合で社員が振り回されることも多々あるし、逆に、恵まれることだってある。

しかし、ジミーにとっては一事が万事であるし、自分のキャリアや人生にとって会社の決定が及ぼす影響は大きい。やるせない感じで話を聞いていると、やはり会ってみないとわからないことがたくさんあると思った。

 

リーマンショックがもたらしたもの

2009年9月15日、日本を、いや、世界を、ひとつの経済破たんが襲った。

「え?リーマンってサラリーマンのことで、サラリーマンが受けるショックのことでしょ?」

当時だったら笑えない話だが、数年後にそう言っている若い女性がいたと友達から聞いた。確かに、あの出来事は多くのサラリーマンに非常に大きな衝撃を与えた。

福岡で金融とは離れた業界で働いていた僕は、その大きなショックに見舞われることはなかった。会社の業績もほとんど変わらなかった。

しかし、ジミーがいたような、大企業を相手にしているIT企業にとっては死活問題だった。ジミーの会社だけではない、ショックを受けて徐々に立ち始めた不景気の波が、じわりと日本中を覆いかぶさろうとしていた。

ジミーのいた会社では、企業にプログラマーを派遣してシステム開発に従事させるビジネスモデルで成り立っていた。僕はIT系の業界のことをほとんど知らなかったので、ジミーから事情を聞いてはじめて知ったようなことばかりだった。

ジミーも大手メーカーの現場で働いていたが、リーマンショック後は契約が打ち切られ、本社勤務になった。本社勤務とはいえ、何か日常的に忙しいわけではない。単純に、クライアントの仕事がないだけの話だ。サーバ管理や社内の雑務を行い、時には何もすることがなく、無為に感じられる時間がジミーを通り過ぎていった。

僕が平塚に遊びに行ったのは、そんなときだった。飲みながらひととおり話を聞いたあと、ジミーの口からは「仕事をやめて福岡に戻ろうかと思う」という言葉だった。

人間ひとりの力ではコントロールしようもない、大きな変動に人は翻弄されてしまう。これまでの歴史の中で、有名・無名に限らず、幾多の人がその時代の波に飲まれ、人生を望む方向とは別の道へと変えていったのだろうか。言葉にできない哀しさが二人の間に流れていた。

 

「でも、今は辞めるな」

僕はその頃、勤めていた会社で中途採用の仕事にかかわっていた。会社自体はリーマンショックの影響を直接受けなかったものの、中途採用をしていると社会の状況が透けて見える。不景気によって早期退職制度の活用が増え、事実上のリストラなども平気で起きていた。誰もが知っているような企業から人材が多く流出し、調子の良い企業は以前なら会うこともかなわない人材を獲得できた。

リクルートのサービスを利用して、人材データベースにアクセスして当時見えてきたことは、30代や40代の多くの男性が年収200万円台か、時にはそれ以下で働いている地方の現実だった。もちろん、地方だけの話ではなかったのだと思う。雇用形態も派遣であったり非正規であったりした人ばかりが目についた。たまたまそのサービス登録者にそういう人が割合多かっただけの話かもしれない。そして、実際に面接して会ってみても、やはり正社員として採用するには難しいケースが多かった。僕は26歳、社会の厳しい現実を垣間見た。

 より良い仕事、少しでも収入の多い仕事、安定した仕事を求める人の気持ちは、今ではとてもよくわかる。あのとき、彼らはチャンスにすがる思いで、遠い地からでもはるばる面接を受けにきたのだと後になってようやくわかった。社長は途中から会いもせずに「落としておけ」とだけ言って、別の用事に行った。チャンスなど初めからないこともある。選ぶ側がやはり強者になりうることが多いのだ。

ジミーの希望を聞いたとき、僕は僕なりに経験したことや自分の目で見たことをありのままに話した。転職をするには「キャリア(積み重ねてきたもの)」と「実績」がすべてだと伝えた。ジミーは働き始めてまだ1年半、文系初心者プログラマーということもあり、これと言ってPRできることもないように感じて転職は勧めなかった。

何より、今のままジミーが福岡に戻ったら、僕がPCの画面上を通して見るだけだった「データベース上の人」と下手をすれば同じ道をたどり、最悪の場合は、不景気もあいまって仕事も見つからず、非正規雇用のままで20代を過ごすことになるという嫌なイメージがあったからだ。

だから、僕は「もし辞めるとしても今のまま転職活動をして、次の仕事が見つかったら辞めればいい。今は、クビになるわけではないのだから、辞めない方がいい」とジミーに言った。ジミーは、色々と考えることがあったようだが、納得した風だった。

 

しかし、そんな話もむなしく、数ヵ月後にジミーは仕事を辞めた。そして、福岡に戻った。

(続く)

4年間ニートだった幼なじみ@30歳が社会復帰した話-その②「あこがれの東京」

 こんにちは。梅雨入りしたからといって天気予報も見ずに傘を持って出て、雨にだけはフラれない経験を繰り返しています、ハリー@福岡の経営者です。

 

ふと思い立って、このシリーズを先日始めました。すべてノンフィクション・実話です。無事に最後まで書けるよう、お付き合いいただければ幸いです(笑)

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ジミー、あこがれの東京へ

ジミーが就職したIT会社は、地元の官公庁相手にシステムを組む上流の立ち位置にあって、その県ではNo.1の存在だった。ジミーがよく言っていた「会社は見栄を張るのが好きだ」。建物は立派なものを好み、アクセスも良いところを選んでいた。

東京支店は浜松町からすぐ近く、東京タワーが屋上から眺められ、周囲の街並みが一望できるような好立地の高層ビルにオフィスを構えていた。ジミーは、本社でしばらく研修を受けたあとに満を持して東京配属になった。

地方企業に就職する学生は、基本的には色々な事情から地元志向が強い。本人の希望にもよるだろうが、親の意向もある。手元から離れさせたくないと思うのだろうか。ジミーは、福岡には何の未練も見せずに東京を望んだ。ご両親も福岡にルーツはなかったし、「かわいい子には旅をさせよ」で本人の好きにさせたのだろう。ジミーは、上に年の離れた姉が二人いて、待望の長男だったのだ。ただ、なぜジミーが福岡以外の何のゆかりもない地方企業に就職できたのかというのは少し説明が要る。

もともと、会社が将来的に福岡に拠点を構える計画があり、その将来要員として人事が戦略的に採用を行ったのが原因だ。福岡は特に地元志向が強いので、地方就職への採用は難しかったと思うが、ジミーは「東京に行ける」と思ってアピールしたのがはまったのだろう。2浪はネックだったと思うが、意欲が勝った。

そして東京での生活を心のうちで色々と思い描いて、ジミーは働きはじめた。

僕は東京から福岡へ

一方、そのころ僕は福岡にいた。東京の大学を出てから、やや特殊な仕事を経験したあとに福岡へ戻った。転職しようと思い、仕事をやめたのだ。24歳、何も怖くなかったし、失うものもなかった。ただ、この道をずっと進むことは自分の望む人生の将来像とは違うと感じた。この文章を書いている今も、あのとき自分の道を選んでよかったと思っている。職場が悪かったのではないし、ブラックでもない。今も当時の上司とはやりとりがある。単純に、僕は自分の人生を生きようと決めた。

30半ばになった今であれば、色々な人に「やめてもいいけど、次の仕事を決めてからやめたほうがいい」とアドバイスするところだが、僕は何も考えていなかった。キャリアという言葉も知らなかったし、本能的に自分の道を選んだのだ。

福岡の実家にもどり、転職活動をしていたが、別に土地にこだわりもなく(僕は福岡という土地を冷静に見つめている)、東京で仕事をしようかなとも考えていた。しかし、たまたまのご縁で福岡の会社に拾ってもらい、僕はそこで様々な経験をさせてもらう。最初の仕事にせよ、その会社での経験にせよ、僕の社会人としての土台はそこで築かれた。とても感謝している。

大学ではビジネスのことを何も学ばなかったし、最初の仕事も民間ではなかったので、会社の仕組みや売上とか利益とか、今では当たり前のこともよく理解していなかった。会社に入ってからは目にすることや耳にすることが何もかも新鮮で、会社の動き方やもうけの仕組みはおもしろかったので進んで勉強した。

とはいえ、僕も順風満帆だったわけではない。中小企業は波風に翻弄される小船のようなものだし、狭い世界に色々な人がひしめき合って成り立っている。まさしく会社は多様性にあふれていたと思うが、合わない人は合わないし、経営側が何を考えているのかコアな部分ではわかりようもない。それで人間関係や雰囲気、仕事を干されたこともあったりしてずいぶん悩んだものだった。

その後、僕は海外勤務をさせてもらったり、社長直轄の部署で自由に立ち回らせてもらったり、色々な経験をした。社内では僕の存在は理解されにくかったかもしれないが、僕は色々な部署に顔を出して先輩とよく話をしていたおかげで、組織を横断的に動き回ることができた。そんな折にかかわったのが、採用の仕事だった。

最初は中途採用を人材採用媒体を利用して、面接などに加わらせてもらった。採用する側と、採用される側から見える風景はこうも違うのかと思った。応募する側は情報の非対称性をなくし、見えないフィルターをいかにくぐりぬけていくかが大切だと思った。また、会社はひとりを採用するのに何百万、場合によっては数千万というお金をかけて投資をする。その重さに見合った採用をしなければならないため、人を見るには慎重に、しかし、感情の機微がからむのが人だから時にはダイナミックに動くことが必要なのだと学んだ。

ジミーと久しぶりに東京で会ったのは、その頃だった。日本の社会は、リーマンショックの衝撃で揺れ動いていたときだった。

(続く)

 

 

4年間ニートだった幼なじみ@30歳が社会復帰した話-その①「ある田舎のものがたり」

梅雨入りしたと聞いて、空を眺めていたら水たまりに見事にはまりました、福岡の経営者ハリーです。

突然ですが、みなさんには「幼なじみ」っていますか?

僕はものごころつく前から、今も付き合いのある友達がいます。

もう、かれこれ30年以上の付き合いになりますね。

その友達がもし女の子だったら、「幼なじみ」という言葉がとてもロマンチックに響くんでしょうけど

残念ながら野郎です( ;∀;)

まぁそれは彼の立場からしても、同じことでしょうけど。

 

背景

最近、自分よりも若い人のキャリア支援をすることが多く、必ず引き合いに出すのがその幼なじみなんです。

「4年間ニートやった友達が社会復帰しましたから、働こうって思う意志さえあれば大丈夫ですよ」が決まり文句。

それで、ふと、彼のことをブログで書こうかなと思いはじめました。今回は、僕と彼のことを簡単に説明しておきます。

 

昔語りのつもりなので突然文体変える

僕も彼も福岡のある田舎町出身、同い年。

彼というのも微妙なので、ここでは仮名ジミーにしておく(もちろん生粋の日本人 笑)。

2歳かそれくらいのときに、母が僕を連れて近所を散歩していたとき、偶然同じくらいの年頃の男の子を連れたお母さんと出会い、母が「あら~、いまいくつ??」と言って話しかけて母同士で仲良くなったのが始まりだとか。僕の母は昔から社交的だったようだ。

幼稚園は違ったけど、ジミーとは小さい頃からよく一緒に遊んだ。

その頃の思い出は、ガンダムのプラモデルやガシャポンで出て来るガン消しでよく遊んでいたこと。今考えると、あれで何をして、どうやって遊んでいたのだろう。

町立の小学校、中学校と同じ所に行って、時々同じクラスになった。1学年120名くらいしかいない小さな学校なので、高い確率で同じクラスになる。しかも、中学校も小学校のすぐ近くにあって、他の小学校とも交わらずにそのまま上がる。だから、僕らの町で育った子供たちは、小学校から9年間はとても狭い環境と関係の中で過ごすことになる。だから、自然と人間関係も濃いままで育っていく。もっとも、それがやや特殊なことだったというのは大人になって知ったことだが。

 

僕らの町にはほどよく自然があり、都会もそんなに遠くない。ガラの悪いヤンキーや不良もいない。問題になるようないじめもほとんど起きない。受験だ何だと騒ぐ親もいない。成績はそんなに良いわけではないが、学級崩壊などとは無縁の世界だった。小中と、時々転校生がやってきた。後で知ったことだが、多くの場合はいじめられていた経験があった。学級崩壊などで問題があった先生も、よく僕たちの学校に来ていたようだ。「楽園」と、ある先生は呼んでいた。

僕とジミーはそのような町で、ガンダムやゲーム、アニメを話題にして中学卒業まで一緒にいた。

 

高校は別々のところに通い、3年後、めでたく二人とも大学受験浪人を経験することになった。僕が通うことにした予備校にジミーを呼んで、小中学校で仲が良かった友達も誘って、またつるむことにした。よく考えると、そんなことをしたのは僕だけだった。予備校からは「営業部長」と呼ばれた。

すっかり30代半ばのオッサンになった今、周りの人に小学校の友達といまだに会って話をするというと、多くの人に驚かれる。どうやら、小学校の人間関係は中学校でほとんどリセットされ、高校で完全に切れることが多いようだ。不可逆的な人間関係が、割合多くを占めるのだろうか。他の田舎も僕の町と似たようなものではないかと思うが、よくわからない。

何にせよ、僕は約1年間勉強して、東京の大学へ無事合格した。数学が苦手だったので、克服するために毎日必ず数学を勉強した。同じ問題集を3周くらいしたら、意外と力が伸びていたのだ。

ジミーは、もともとあまり勉強するタイプではなかったからか、もう一年浪人して福岡の大学へ通うことになった。お母さんの里が東京なので「東京に行きたい」と言っていたが、かなわなかった。

 

僕は東京で大切な青春時代の4年間を過ごし、思うところあって東京から抜け出して就職した。

ジミーは、僕より遅れて1年後に卒業して、IT企業に就職してSEになった。地方の企業だったが、東京に支店を置いていたので念願の東京で働けることになったのだ。僕も彼も、とてもそのことを喜んだ。

この物語は、ここから始まる。(続く)

町議会選挙活動を見てて、選挙について考えてみた

ハリー@経営者@福岡です。

今日は選挙の話です。

 

「〇〇をよろしくお願いします!〇〇!〇〇です!」

選挙カー。選挙前にのみ必ず現れる、日本の風物詩。

地方議会に当選した人の話によると、あの車+アナウンスする人だけで何百万というお金がかかるそうです。選挙ってお金かかるんですよね。色々と。

駅前で繰り広げる街頭演説。

名前も顔も知らないおっさんが、ジャンバーを着た女性に囲まれて何かしゃべってる。

正直、僕はこの町の住人ではないのでどうでもいいんです。

むしろ、仕事の邪魔だし、気が散るのでやめてほしい。住人のみなさんはどう思ってるんだろう。

それで、ふと気になって。

この活動、よく見かけるけど、ほんとに効果あるの??

 

住民の貴重な証言

それで、とりあえず、知人の住民の方2人にに聞いてみました。サンプル数少ねぇとかいう文句は置いといて。貴重な証言が得られました。2人とも40歳以上です。

僕「今度の選挙に行きますか?」

Aさん(女性)Bさん(男性)「行く」

「誰に投票するかって、どうやって決めるんですか?」

Aさん「うん、テキトー。おもしろそうな人に入れる」

「テキトーですか(笑)」

Bさん「害がなさそうなヤツに入れる」

「それって、どうやったらわかるんですか?」

Aさん「選挙公報とかかな」

Bさん「地場の建設屋とか土建屋には入れん。しがらみのない、年寄りの議員にやかましく言ってくれそうなヤツに入れる」

「そんな人いるんですか(笑)」

Bさん「この町の出身じゃなくて、予算の使い方にうるさいやつがいるよ。そいつのおかげで、町が好き勝手お金使えなくなった。特定の業者ばっかりに仕事が行かなくなったりね」

「へー、そんな人いるんですね」

「で、Aさんはあの選挙カーとかで叫んでる人には入れたりしますか?」

Aさん「いや?ほとんど知らんし。その場で考えるよ」

「ですよね・・・」

Bさん「選挙カーで言ってるヤツには絶対入れない。入れる気がしない」

「ネットとかで調べたりしますか?」

AさんBさん「いや…しないね」

Aさん「ぶっちゃけ、町議会はどうでもいいって感じなんですよね。重みがない。それでも選挙は行くけど」

Bさん「知り合いが出てる手前、行くけどね。ただ、みんな年寄りの議員にはうんざりしてる感じだから、若い人は若いっていうだけでチャンスあるよ。出てみたら?」

「いや、いいです(笑)」

 

投票に影響を与えるものってなんだろう

それで、投票行動に与える影響が実際はなんだろうかと思って論文あるかな、と。

2004年に大阪大学で書かれた論文が見つかりました。

http://www.isfj.net/articles/2004/gyousei_yamauchi.pdf

それには色々書いてあったんですけど、「接戦だったらみんなの一票の意味が感じられて行く」「若者が多いと投票率下がる」とか書いてて、投票率を上げる提言として①公開討論②ネット投票、がありました。

ネット投票はできるようになりましたね。でも、調べると国会議員ならまだしも、地方議員はホームページのホの字もほとんど出てこない感じなので、これは日本の地方の将来はあぶないな、と。

で、公開討論はアメリカ大統領選みたいなのがあればいいんでしょうけど、今のところ情報発信が一方通行ですよね。ともすると他者批判とか攻撃になるので、日本人の奥ゆかしさからすると難しいのかもしれないですね。

 

投票率って下がってるけど、それは若者のせいなのか?

この論文、投票率が下がってるのでそれを嘆いて、ってことだったんですけど、推移はどうなのかなと。

総務省のホームページにちゃんとデータがあって。

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確かに下がってる。

がくーんと下がってからうまく立ち直れてないですね。

ネット選挙とかになったところで投票率は大きくは上がらない。制度の問題ではないのかもな。

年齢別はどうなのか。

こちらは公益財団法人明るい選挙推進委員会にデータがありました。

衆院選

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地方選

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なんでしょうね。

若者だけの問題でもなさそうですけど。

 

また考えてみます。

 

 

 

「まだ自己分析やってんの?さっさと釣りに行け」という話

就活中の学生(仮名:コウスケ君)との話。

仕事柄、学生とよく接するので進路相談を受けることがあります。

就活の流れというと

自己分析→業界研究→会社研究→エントリーシート作成→面接

一般的にはだいたいこんな感じです。

最近の学生は業界研究や会社研究はあまりしないという話も耳にします。

面接受けに行ったはいいものの、その会社のことを詳しく知らないまま臨むこともあるのだとか。

「とりあえず受けてみるか」

僕は自分の殻に閉じこもってるよりは、そっちの方がまだ100倍マシだと思ってます。

 

今回、話をしたコウスケ君は「自分のよさがわからない」といって右往左往して、今の時期になっても自己分析セミナーとかにお金払って行こうとしている学生です。もちろん、ちゃんと興味もって会社説明会とかも行ってるわけですが。

知り合いの先生から「それってモテない男子がやるクソダサいパターン」と言われ、セミナーに行くのは思い直したようです。

 

相談を受けて、僕はこういう話をしました。

僕「釣りってしたことある?」

コウスケ君「はい」

僕「うん、まぁ聞いておきながら俺あんまりやったことないんやけどさ(笑)

あのね、自己分析ってのはエサ箱の中身を用意するもんなんよ。魚を釣ろうと思ったら色々道具はいるけど、エサいるよね。ルアーでもいいし、生エサかもしれないし。でも、今から釣ろうとしてる魚がどんな魚で、何を好むか、はっきりとはわからんけどエサつけて釣り糸投げてみたらいいやん。

それで、あ、これ違ったと思ったら別のエサつけてまた投げる。その繰り返し。でも、相手の反応見たらだんだんどのエサが好きかわかってくると思うし、そういうの見ながら話をできるのが、よく言うコミュニケーション力ってやつなんじゃない。ほんとかどうか知らんけど、企業の多くはコミュニケーション力がある人を欲しがってるらしいよ。自分たちにあんまりないくせにね。

だから、エサばっかり揃えてても、魚が本当にそれを食べるかどうかわからないし、さっさと釣りに行った方がいいやん。だから、エサの種類も3個くらいあったら、十分試せると思うよ。

その3個のエサが、あまりにもマニアックだと食べる魚も限られてくるよね。もしかしたら深海魚くらいしか食べんかもしれんから、深海魚に行き当たるまで釣り糸を伸ばさないといけない。つまり、当たる数も少ないし、探すのも大変。見つかったらラッキーだけど、見つかるまで魚に会い続けないといけない」

コウスケ君「めちゃくちゃよくわかりました。その、エサがあると思うんですけど、やっぱり自分の良さの伝え方がうまくわからなくて。自分が好きになれないんですよね。どっちかっていうと嫌いで…」

僕「今のところコウスケ君の興味も関心もない女の子がやってきて、君のこと好きって言ってるけど、ネガティブなこといきなり話しまくったらどうする?」

コウスケ君「うーん、ないですね」

僕「ま、そういうのを好む人もいるかもしれんけどね。でも、初対面って相手のことよくわからないから、ネガティブなことばかりでも微妙だし、ちょっと近寄りがたいって思われると微妙よね。一緒にいたいとは思えない。で、ネガティブなことは、もちろん人間だから思ったり話したりしてもいいんやけど、なんか大変だけど笑顔で明るく楽しそうにそれを伝えることで、相手の受け取り方も変わるわけね。

自己PRの伝え方も同じで、自分ではネガティブにしか思えないようなことでも、少しだけ見方を変えればとても魅力的に移ることがある。これをリフレーミングというんだね。ある角度から見たらあまりカッコよく見えないけど、違う角度から見るとものすごくカッコよく見える人だっている。人の長所とか強みとかもそういうことで、自分が思ってるネガティブな感じじゃなくて、表現するための言葉をちょっと変えるだけでまったく変わる。

たとえば、コウスケ君は自分のことが嫌いだっていうけど、なんで嫌いなん?」

コウスケ君「理想の自分に遠いというか、なれない、というか」

僕「そういう自分になれたら自分が好きになれるってことかな。まぁここではリフレーミングってのをすると、コウスケ君はまず自分の理想や目標を持っていて、それに向かって努力できる人間だということやね。

で、努力してるんだけど、なかなかたどり着けない。たどり着けないけどがんばる。がんばるけど、たどり着けなくて疲れる。そんな自分になれない自分はダメだ、嫌いだ、と。

どう思うかわかんないけど、それってすごいことなんだよ。普通の人にはできない。別に自分を好きになれとは言わないけど、今言ったみたいな別の見方ができる自分も、受け入れることやね」

コウスケ君「そう、なんですね…」

僕「今まで色々聞いてたり、他の人が言ってくれてるみたいに、コウスケ君にはたくさんいいところがあって、エサ箱は十分なんよ。でも、エサ箱が自分の理想に見えないから、ぶーぶー文句言って、もっと充実させなきゃって言ってる。さっさと釣りに行け。そんないつまでもうだうだしてるやつなんか知らんわ。ていうか、仕事するかぎり自己分析なんか永遠にやり続けないといけない話で、自分でもまだ自分のことよくわからんこともあるし、本当の強みなんて仕事やりながらわかるもんなんよね。だからエサ集めるのはほどほどにしていいよ」

コウスケ君「わかりました、ありがとうございます!」

 

…と、こういうわけでした。

正直に言えば、別にこんな相談なんか受けなくても彼はとてもいい学生なので、内定はどこかしら得られると思います。それは、いくつか会社を実際に受けてみれば、彼なら自然とわかってくることですし。

まじめで、もっと上を目指したいと思うので、僕なんかに話を聞きたいと思ったんでしょうね。

なお、この話は僕がお酒を飲んで話をしたことと、彼との関係がある程度これまでに築かれている状態という前提がありますので、他の方がどう思うかはいざ知らず。

 

今年も桜がきれいですね~。花見したいなぁ。