「質問はありませんか?」-「…(しーん)」 質問が出ない時の効果的な方法
こんにちは、経営者@福岡のハリーです。
またしても前回記事から数ヵ月が経ちました。3月から仕事のみならず個人的な事情も怒涛のように立て込んで、筆を取れずにいました。
ようやく少し落ち着いたので、久しぶりに書きたいことを書こうと思います。
人前に立ったときの景色
仕事柄、よく人前で話すことがあります。
数十人から多い時は数百人。対象は学生だったり、会社だったり公務員だったり。
前から見ていると、聴いている人たちの様子がよくわかります。
学校の授業でこそこそと何かをやっていたとき、「なんでばれたんだろ?」と思った経験はあるでしょうか?
あの時の先生の気持ちはよくわかるんです。
前から見るとバレバレです(笑)
バレバレって、しかもこそっと何かをやっていることがばれるのではなくて、人の様子や雰囲気もよくわかります。
あ、この人よく聞いてくれてるな、とか、あぁあの人全然やる気ないなぁ、言葉届いてないなぁ、とか。
そんな様子を察知しながら、こちらも何とかしようと手を打ったりします。
それがうまく行くときもあれば、進行の都合上、手当てができなかったりします。
集団心理ー手を挙げることのむずかしさ
そんな中、話がひととおり終わってから、会場の雰囲気を一瞬で引かせる言葉があります。
「何か質問はありませんか?」
さーっ、っと聞いている人たちから波が引いていくのが目に見えるような感じです。
あの引き波現象、なんなんでしょうね。
あまりにもよく見る光景なので、結構考えます。
ひとつは、本当に何も聞きたいことがない、ということ。
つまり、もう聞きたいことはぜんぶ聞いた。お前の話はもういらん、と。
それから、何を聞いたらいいかわからない、というパターン。これも多そう。
でも、やっぱり一番多いのは、聞きたいことはあるけど恥ずかしいから聞けない、というパターンではないでしょうか。あるいは、みんなの前で手を挙げてリア充視されてめんどうくさい思いをしてまで聞きたいような質問はない、と。
そんな集団心理があるように思います。
先日も、200人くらいの前で話をして、そもそもが質問を受けてからこちらが話すという内容深掘り型のディスカッションだったのですが、聴き手側にまったく手が挙がらない(その場はいつもそうらしい)。仕方ないから進行役の人が、色々と尋ねてこちらも話をすることになる。
で、話していてこう思うんです。
「これって、聞いてる人たちがほんとに聞きたいことなのかな?」と。
サービス精神旺盛なハリーなので(?)、意識高く聴いてる人に何とかしたいな~とか思ったので、最後のコメントのときに「恥ずかしいかもしれないけど、手を挙げて聞きたいこと聞いた方が、その後の人生変わるよ」って言っておきました。
また、こういうのは進行側の問題でもあるんです。何回やっても手が挙がらないのは、もうそういうパターンに陥ってしまって、誰も変化を起こす人材がいない、ということなのでこれはどげんかせんといかんのです。
それで、進行側の人には「ひとりでは手を挙げにくいだろうから、前さばきとして、分かれているグループや隣の人と話し合ってもらって、グループ代表ってことで質問してもらったらいい」とアドバイスしました。こっちも、聞きたいことに応える方が充実感出て来るからですね。
その場は、結局誰からも質問が出ずに、終わった後も特に出てきませんでした。ひょっとしたら、聞きたいことは何もなかったのかもなぁと思っていたところ、残っていた人をつかまえて「何か聞きたいことないんですか?」って聞いたら、少し考えたあとに「ハリーさんは今おいくつなんですか?」とか「僕たちにアドバイスされていたことって、昔は実践されていたんですか?」とか聞いてきました。
質問あるやん(笑)
おそらく、その程度のことを手を挙げてまで聴く必要はない、といったところでしょうか。しかし、どんなレベルのことでもいいので切り込み隊長がいると、そこから「あ、そんなことでもいいんだ」と思って、結構あとに続く人も出て来るものです。
色々考えながら、その場を後にしました。
心理を逆手に取る
それで、後日、同じ場所で別のプレゼンの機会がありました。
終了後、質問は?と聞くと、やはり同じ引き波現象が。個人的に指して「何かないの?」と聞いても、やはり出てこない。
それで、この間考えたことをやってみるか、と思って言ってみました。
「じゃ、みなさんこれから、隣の人と次のトピックについて話し合ってみてください。」
「ひとつめは、説明の中でよかった点。ふたつめは、マイナスだと感じた点。そして、あ、これ気になる、と思って聞きたいと思った点。じゃ、5分差し上げます」
それで、眺めていたら、こちらが渡している資料をもとに何やら話し始めました。うん、よさそうな雰囲気。
5分後、「みなさんどうでした?じゃ、そちらのグループからどうぞ」
と言うと、印象に残った点と、彼・彼女らが聞きたい質問が出てきました。
4グループくらいありましたが、結果は
■良かった点:4つ
■質問:4つ(あるグループでは2つ)
となりました。
質問あるやん(笑)
テクニック
ここで使ったテクニックは
意見や質問を個人レベルから集団レベルへと引き上げる
というものです。
私が個人的につかまえて聞いた学生は、本人にとってはささいなことでも聞いてみたいと思うことがあった。だけど、心理的に聞けなかった。
これは、質問の内容・レベル=個人、という図式に本人が勝手に思い込んでいるからです。つまり、自分の発言や質問を、自分の人格と結びつけている。なんか、かっこいいこと言わないといけないとか、なんか意味のあること質問しないといけないとか、そんな思い込み。
しかし、対話ってのはいきなり深いところから始まるわけではなくて、ちょっとしたやり取りや情報を聞いて、相手に興味を持つことからいいスタートが切れると思うんです。
なので、最初はしょうもないと思える質問でも、集団みんなのためになるならそれでいい。
そしてどんな質問でも、あたかもそれが「みんなが聞きたかったこと」であるかのように、集団の意識へと共有・昇華させることで個人の色彩が薄まる、ということが大きなポイントです。
実際、こちらからするとグループで出て来た質問は、誰がどんな風に思って聞いてきたかはわかりません。単純に、あぁそういうことが知りたいんだな、と客観的に思えるわけです。つまり、個人的な意図とかしがらみとか、そういうのがない分こちらも軽く構えられる。これは、お互いにとって良い効果です。
聞いてる側はどうしたらいいの?
さて、これを書きながら、人前で話す方=場をコントロールできる方にいる人には役立つけど、聞いてる側にいる人はどうしたらいいんだろうか、という疑問が出てきました。
これについては、別の機会に。三カ月後になるかもしれませんが・・・(笑)