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ハリーのタカの目ブログ

起業日記になりそうな予感

良いセミナー・イベントの企画

みなさんは、苦痛なセミナーやイベントを経験したことがありますか?

 

「もはやこれまで、時間がもったいない、帰るぜ野郎どもぉ!」

 

…と思いながらも、最前列に座っていて、連れもいるので抜け出せない。

 

熱心にメモを取る振りをしながら、実はぜんぜん関係のない自分がまとめたかったことを手帳に書き留める。

 

うすうすわかってはいたけれども、怖いもの見たさで、やってしまった感のあるセミナーに参加したハリー(経営者@福岡)です。

 

良いセミナーは事前情報から判断できる

先に断っておくと、僕が参加したのは

宗教系とか

ネズミ講系とか

ネットワーキングビジネス系とか

スピリチュアル自己啓発系とか

そういうのではありません。

無料でした。個人情報も取られてません。

「おっと、ここから先は払うもん払ってもらおうか」みたいなのもありません。

多分、御家元制度系の資格ビジネスを今後拡大したいので、周知のために開かれたのだと思います。

もちろん、そんなことは主催者を調べたので百も承知でした。

それでも行ったのは、同じテーマのセミナーやイベントが珍しく、僕が特に興味を持っているものだったからです。

 

次に、僕はSNSで情報を得て参加したのですが、当然セミナーの事前情報が書かれているページがあります。

良いセミナーは、詳細にわたって情報が豊富です。

優良なセミナーでは、参加する側の人のことを考えて、その気持ちを汲んで、色々な情報を掲載します。

登壇する人の詳細プロフィールはもちろん、そもそも有料なのか無料なのか、参加方法は何なのか、突然参加でもいいのか、問い合わせ先はなどなど。

それから、セミナーの流れについても少し細かめに書いてあることが必須でしょう。

大まかの部分にも書いてないような「あれ、そんなこと聞かされるの?」と思ってしまうものを、わりと多めに出されると辟易しますね。それが聴きたくて来たんじゃないんだけど、と。

スライドを作ってるなら、章立てでもよいので書いておくとイメージしやすいです。

さらに、参加型の双方向の仕組みを作っているなら、なおさら書いておく方がいいですよね。

 

そんなふうに、主催者側が「これを伝えたい、だから来てほしい」という気持ちと、参加者側が「知りたいこと」そして行ってみて「そんなの聞かされる予定だったの?」がないことなど、主催者側が伝えたい情報と参加者側が知りたい情報がバランスよく散りばめられていることが重要だと思います。

以上のことに気をつけることで、そのセミナーを主催しているのがどれくらいしっかりしてる人か、 ちゃんとわかっているかどうか、実績があるかがわかります。

実績があると、同じ失敗を繰り返さないように改善がどんどんされますし、何より「こうした方がいいよ」とアドバイスをくれる人が周りにいて、レベルが上がっていくからです。

 

立脚点(Why?)に共感できる

僕は今回のセミナーの話を聞いていて、痛感したことがあります。

「立脚点って大事だな」と。

原点、動機、出発点、言い方は何でもいいです。

その人が「なぜ」今のことをやっているのか。

どう感じて、どう考えて、行動したのか。

一連のなぜを説明されたときに、理解したり共感できたりします。

初対面だと、特に大事ですよね。面接とかもそうです。

 

で、今回のセミナーの人は立脚点が「ダメな会社で何もできなかった自分」でした。

いや、正しく言えば「ダメ会社とダメ社長、ダメ上司のせいで不満たらたらになり、自分は社会を救おうと思った」です。

こういうのは、発言の端々に聞こえてきます。

端的に言えば、「他責」が立脚点です。

それが原動力になったんだな、と。

はっきり言えば、その人に力も努力もなく、会社を変えることはできなかったわけです。

会社を変える所まで行かないまでも、その会社でやれたこと=実績がない。

で、職を転々とし、念願の独立を果たし、ちょっと長く続けた人事の仕事でやっている、と。

「組織に向かないオレってカッコイイ」

「オレ様がちょっとダメな社長ばかりがはびこっている社会を変えてやんよ」

そういう考え方を否定するつもりもないですし、それでうまく行くんならいいと思います。

でも、力のない自分、ダメな自分を認められず、現実から逃げているだけだと、結局行き詰まります。

というか、せめて少しでもお世話になったところに感謝の念はないのかな、と。

感謝の念を持っていると、人は謙虚になれます。謙虚になると、それが言動に表れます。言動が優れていると、人を引きつけられます。

ダメな自分とうすうすわかっていながら、その劣等感を隠すために「あいつらこそがダメで悪い、オレ様はエライ」と優越感にすり替える。

この論理のすり替え、気をつけたいところです。

 

僕の立脚点は、「もっといい組織をつくりたい」と思って挑んだ仕事を、志半ばで倒れてしまい、悔しい思いをしたことです。

その時、僕にはどうすることもできなかった。要は、力も経験も勉強も不足していて、そのステージではなかった。

僕はいちど社長にまで抜擢されたけれども、一気に転げ落ちたわけです。

高いところから落ちると、痛いですね。落ちる決心と覚悟でさえきついのに、ただのケガじゃ済みませんでした。

そんなマイナスの状態から、でも、やっぱりやりたいから、それが自分のライフワークだと思ってるから、もう一回道を変えて登りなおそう。そう思ったのが僕の立脚点です。

こんな風に書くと、僕の方がエライって言ってるように聞こえますが、そうではなくて、「違い」の問題だと思ってます。

レベルではなくて、ラベルが違う。だから、優劣の話ではないんです。だから、共感も関心もできなかっただけです。

 

何が言いたいかというと、立脚点を正しい論理で表明する、ということがセミナーやイベントでは大切だと思ってます。

後からとってつけたような言葉ではなく、ぎこちなくてもいいので、自分の言葉で、思いを伝える。

それに共感するかしないかは、同じラベルが貼ってある人なら共感してくれるでしょう。

100人いて、100人に好かれる必要はないんです。むしろ嫌われていい。

僕の他にいた参加者の方の中には、きっと関心された方もいらっしゃったと思います。

ただ、僕が「困ったな」と思ったのは、そんな立脚点を持つ御家元に共感して学ぶ人たちは、きっと会社からはもっと浮くんじゃないか、かえって会社をダメにするんじゃないか、ということでした。

社会はよい方向へも変わり、悪い方向へも動く。その繰り返しで、むずかしいですね。

 

主催者の質が場の空気を決める

まとめると、やはりその場を設計し、場を運営する人の力量ですべてが決まるということだと思います。

その力量は、組織やチームの態をなしているかどうか、実績があるか、実績はなくても安心感や信頼感が持てるかどうか。

行ってみて感じることは、そうした主催者の考え方や態度が、場の空気に現れるということです。

行ってみて「あ、なんか違う」と思ったら、帰った方がいいです。その空気が合う人と合わない人は必ずいます。

 

場を設計する人と、運営する人が分かれるのもありですよね。

家を建てるのは大工さんだけど、その家の設計は建築士がするような。

それぞれが強みを活かす方向で分担する形になります。

よく、運営をプロの司会の方が担当されるシーンも見ますが、やはり理由があってのことだとわかります。

 

半分以上、愚痴になってしまったような気がして申し訳ないですが、セミナーを企画・運営する人や、参加を検討する人の足しになればと思います。

 

追記:有料セミナーは質の良さの確率を高める

この記事を読んでくれた友人から

「かなりの数のセミナーは行ったけど、無料セミナーはやっぱり・・・なことが多い」

というコメントをもらいました。

「もちろん、有料セミナーの中でも行って損した、というのもある」とのこと。

 

有料セミナーの場合、私自身が主催しているためその経験から言えば

・「本気の人」や「テーマに意識・関心が高い人」が集まる

・主催する側も、お金をもらう以上は本気でやる

・結果的に、その場の質が高まり、雰囲気も良くなる

というメリットがあります。

一方で

・間口は狭くなる(講師の認知度が髙ければ集客は可能)

・内容について料金に見合うか、そうでないかの見極めが主催者側からは難しい(なのでフィードバックを必ずもらう)

・相場感が難しい

・「なんか違うな」と思われた場合は関係が切れる

などの弱みはあります。

ご参考ください。